走行距離 3644km
拘束時間 約54時間
出着時差 +3時間
待ちに待ったシベリア鉄道。もともとこの世界旅を話し始めた際、ぼくが最初に提案した「やってみたい事」のひとつ。企画時は、BGMに某列車の旅番組のテーマソングが流れ、広大なシベリアの大地をサーッと走り抜ける優雅なイメージ。ただ、東京のようにキリキリとしたモスクワでの一日を終え、混み合ったホームには持てないほどの荷物の前に座り込んだ人などで足の踏み場もなく、まるで夜とは思えない市場のような賑やかさに圧倒され、未知の旅への現実さが増す。まごつきながらチケットと車両の番号を照合し、パスポートと切符を係員に見せて2等寝台室へ乗り込む。4人部屋は前回も体験したとおりだが、出発してから初めて貸切であることがわかり、顔を見合わせてホッとする。まだ途中駅から乗ってくるかもしれないが、我々のテリトリー内で好きなように荷物を広げてドアに鍵をかけて寝る。カバンからものを出すだけで開放感を感じるという心理は、一時的にでもそこを居住地と定めたからだろうか。犬が縄張りをマーキングするようでオモシロイ。
部屋にはソファベッドが並び、テーブルにはクロスがかけてある。シーツやタオルも支給されるが、シャワーが無いのは誤算だった。仕方ない、イルクツクへ到着するまでの5日間は風呂なしの覚悟を決め、濡らしたタオルで身体を拭く。寝衣とスリッパに着替え、完全にリラックス状態。こういったことはこれまでの地元渡航者を参考に実施。飲食は食堂で注文することもでき、メニューも豊富だが北欧での教訓から高いだろうと推測。乗車前にパンやチーズ、リンゴやクッキー、更にはアジアン・マーケットでアラビア語で記載されたラーメンや韓国うどんを買い込んで持ち込み、個室で食べる。お湯は各車両に備え付けられているので、コップや鍋の持参は必至。当然水は飲めないので、ミネラルウォーターもあった方が良いだろう。
駅では、数分しか止まらない駅があれば30分以上も停車する駅もある。旅行会社のナディアに工程表をもらっておいてよかった。到着時刻は数分前後する程度で、想像していたよりも正確で、長い停車の駅では下車してストレッチもできる。風景は、「世界の車窓から」のように流れるような編集力で移り変わることはなく、森林が永遠に続いたあと、草原が永遠と続き、また森林に戻る。しかしこの広さを時間で感じられるのはなんて贅沢なことなんだろう。
米独立記念日は特に花火もお酒も友人や家族との集いもなし。NYへ移り住む楽しみのひとつとして来年まで延期としておこう。
7.12.2011
7.11.2011
ロシアの象徴
翌日も、電車出発の時間である22:50までサンクトペテルブルク市内を歩く。とはいっても、朝はだいぶゆっくりと寝たので実質は半日の散歩。思っていたよりも安いボルシチやストロガノフを食べ、身体を充電。夜行列車は4人部屋で、ロシア人の若者一人と、僕と同年代くらいの英語が喋れない男性との相部屋。「渡航時のこわい話」をあちこちのブログで読みすぎたせいか最初は盗難などを警戒していたが、結局いらぬ心配だったようだ。言葉は通じないが、映画の話などをした…気がする。
富と権力の都市であるモスクワには、朝の7:30に到着。五目板状に整備されたサンクトペテルブルクの道路と違い、中心地から放射状に広がるモスクワは自分の現在地がわかりにくく、すぐに迷ってしまう。ともかくインターネット接続のできるКАФЕを探し、ロシア風パンケーキと呼ばれるクレープを朝食に食べながら、車内で寝られなかった分を少々休憩。
1917年のロシア革命以降、ソビエト連邦共産党中央委員会書記長となったヨシフ・スターリンは、モスクワは都市の再計画が必要であるとし、古い建物を壊して地下鉄を整備し、近代的なネオ・ゴシック調の高層ビルを建てる事に力をいれたらしい。確かに高層ビルを見ると、針のような装飾が天に向かって伸びている。破壊されなかったわずかな修道院や教会などを除けば、街のほとんどがコンクリートで塗り固められており、近代化を目指した都市である事が伺える。
この日のハイライトは、ロシアの過去の宗教と現在の政治の中心、いわば聖地クレムリンへの訪問。到着するとそこにはヨーロッパ調をベースにアジアやアラビアの風格が折り重なった巨大な建造物が広大な敷地に広がっており、この付近だけは歴史を感じさせる。日曜という事もあって広場は人で溢れかえり、観光地色で染まっている。そういえば日曜だというのに、なぜか街中でモデルの撮影会を何度か見かけた。考えてみると、北欧に比べて店も遅くまで空いているし、実はこちらの人は働き者なのだろうか。
気づいた事だが、ロシアに観光で来ている殆どのアジア系が中国人である。隣接している事もあるのだろうが、同じ共産主義国、そしてBRICs国として入国しやすいのだろうか。まぁ、この旅の最中、どこでも一番見かけるアジア人種なのだが。
富と権力の都市であるモスクワには、朝の7:30に到着。五目板状に整備されたサンクトペテルブルクの道路と違い、中心地から放射状に広がるモスクワは自分の現在地がわかりにくく、すぐに迷ってしまう。ともかくインターネット接続のできるКАФЕを探し、ロシア風パンケーキと呼ばれるクレープを朝食に食べながら、車内で寝られなかった分を少々休憩。
1917年のロシア革命以降、ソビエト連邦共産党中央委員会書記長となったヨシフ・スターリンは、モスクワは都市の再計画が必要であるとし、古い建物を壊して地下鉄を整備し、近代的なネオ・ゴシック調の高層ビルを建てる事に力をいれたらしい。確かに高層ビルを見ると、針のような装飾が天に向かって伸びている。破壊されなかったわずかな修道院や教会などを除けば、街のほとんどがコンクリートで塗り固められており、近代化を目指した都市である事が伺える。
この日のハイライトは、ロシアの過去の宗教と現在の政治の中心、いわば聖地クレムリンへの訪問。到着するとそこにはヨーロッパ調をベースにアジアやアラビアの風格が折り重なった巨大な建造物が広大な敷地に広がっており、この付近だけは歴史を感じさせる。日曜という事もあって広場は人で溢れかえり、観光地色で染まっている。そういえば日曜だというのに、なぜか街中でモデルの撮影会を何度か見かけた。考えてみると、北欧に比べて店も遅くまで空いているし、実はこちらの人は働き者なのだろうか。
気づいた事だが、ロシアに観光で来ている殆どのアジア系が中国人である。隣接している事もあるのだろうが、同じ共産主義国、そしてBRICs国として入国しやすいのだろうか。まぁ、この旅の最中、どこでも一番見かけるアジア人種なのだが。
7.09.2011
第二章:広大なシベリア、そしてシルクロード
~ロシアの京都、サンクトペテルブルク
ヘルシンキ駅で高速鉄道、Allegroに乗り込んだのは、朝の6時前。出発後、ウトウトしていると検査官が出国手続をしに回ってくる。優しい笑顔でパスポートを求めたフィンランド人担当者の腰にはピストルが装備されており、自然と緊張感が高まる。しかし、簡単に目を通しただけで電車の絵が描かれたスタンプを押され、無事に終了。まあ出国なんてどこでもそんなものだろう。あれ、日付が間違っている…あ、訂正に来た…
少しすると境界線上に位置するVyborg駅に到着し、国境越えについてのアナウンスが数カ国語で流れる。いよいよ電車が走り出すと、制服をきた検査員が5、6名入ってきて厳しい表情でパスポートと入国申請書を要求される。パスポートとビザ、そして僕らの顔を穴があくほど見比べ、どこにも不備が無い事を何度も確認する。ようやく返してもらい、一応中を確認してやっと一安心。
出発から3時間半が過ぎ、歴史と文化の象徴であるサンクトペテルブルクへ到着。ロッカーに荷物を入れようと思ったら使い方がわからない、英語が誰にも通じない、といきなりヨーロッパ圏外の洗礼を浴びる。ドストエフスキーやチャイコフスキーなど、多くの作家や音楽家を魅了したロシア4番目の都市は、広場と噴水が多く建物がヨーロッパ調である事が第一印象。また、街中には軍人らしき人たちが多い。文字は全く読めず、とにかくカフェを探す。あった、КАФЕ...これか??РЕСТОРАНがレストランと読めるまでだいぶ時間と想像力を要したが、МАРКЕТがマーケットだからР→R、ВАНКが銀行だからH→N、とこんな調子。ルールがわかり始めると全く読めないわけで無いが、ЕШИОКА ЕШИТОが自分の名前とは、言われなければ絶対にわからない。
けっして大きな街ではないが、我々にとって初の30度超えの直射日光という事もあり、終日歩き続けるといい具合に疲労。それでも夜は、アイスランドで知り合った地元のコに誘われ、更に町を散歩。照明をふんだんに使って多くの建物を夜景に浮かび上がらせているのは綺麗だが、節電を呼びかけている日本のネット新聞を読んでいるせいか、どこか素直に喜べないのも事実。もう一つのアトラクションは、運河に架かる跳開橋を開く事らしい。そんなに特別な事かと思いきや、ものすごい数の若者が運河沿いに集まって、酒を飲んだり欄干に腰掛けて写真を取り合ったりしている。結局夜も3時間ほど歩いてしまった。
7.06.2011
フィンランドのビール
データを誤って捨ててしまったので今回は画像なし。ただ、言い訳がましいが、フィンランドのビールは正直そんなに美味しくはなかった。誰に聞いても水が世界一きれいだと誇るフィンランド人だが、どうやらそれだけではおいしいビールは作れないようだ。
北極圏の男たち 其の弐
待ち合わせは、12:00に世界最北端のマクドナルド。無料で無線LANを提供しているマックは、メールのチェックなどでよく使っており、何時にくるかわからない相手との待ち合わせでも時間を有効に使う事ができる。少し早めについて待っていると時間どおりにジェシカが登場。この時、旅先で知り合いに会うのは本当に嬉しいものだ、という事を知った。
町を少し歩いたりランチを食べたりしながら、今回の撮影について聞いてみると、とにかく大変らしい。言葉の壁は当然大きな問題らしいが、元々フィンランド人というのはお喋りな方ではなく、特に男性陣は気を使ったり説明したりという行為が一切無いので、なんの為に待機しているのか、何時にどこへ行けばいいのかなど情報を得るのが困難らしい。そんな話の途中、「撮影場所は見られないかもしれないけど、私のキャビンに泊まりに来ない?」とジェシカ。思いがけない提案に、サエと顔を見合わせ即答。
彼女が宿泊しているのは、ロヴァニエミから2時間ほど北上した小さな村。クルマの中でも、我々の世界旅の事や彼女の東欧の珍道中など、話は弾む。きっとお互いに会話をする事に飢えていたのだろう。彼女が借りているキャビンはかなりの年代物だが、広くて快適。外にはサウナがあり、仕事が終わると自分で薪をくべて火を起こし、疲れを癒しているそう。フィンランドでは人口の1/3もの数が存在するサウナ。中で身体を洗ったり、冬は凍った湖に穴を開けてサウナと交互に入ったり、とても身近なものらしいのだが我々はまだ体験していなかった。その晩はトナカイの群が見つからなかったらしく、ジェシカも撮影がなかったので、夕飯を作ったり初のサウナを体験したりと静かな時間を過ごし、ゆっくり就寝。
翌日の夕方。ジェシカに連絡があり、トナカイを追い込めそうなので撮影が可能だとの事。また、我々が見にいっても問題ないとの事で、19:00頃に出発。1時間程走って待機場所へ。そこにはキャンピング・キャラバンが何台も停まっており、子供たちが出入りしている。2時間程待機していると泥まみれのバギーにまたがった、皮のジャケットを身に纏った色黒の男性陣が休憩に現れる。今回追い込んだのは100匹ほどと少ないが、これから狭い柵に追い込んで母子の確認をしたり、飼い主の印をつけたりするらしい。
彼らが休憩した後、トナカイを追い込む彼らとともに行動し、森を大回りして群れの背後へ回る。普段はラップランドの広大な大地に放し飼いにされているトナカイはとても臆病で、声や手の動きだけで追い込む事ができる。また、気温が上がると集団行動する習性があるので、人数を増やせば多くの頭数を一気に動かすことができる。そこでこの追い込み作業は、男性陣だけでなく女性や子供たちも一緒になって大勢で行い、徐々に狭い柵へと閉じ込めるというとても原始的な方法で行われる。
これまで見てきたフィンランド、もとい北欧とは全く異なるこの世界。大自然の中で生活する彼らのたくましさから、この環境の厳しさを改めて知ることができた。火山噴火と5月下旬の吹雪からスタートした、1ヶ月半に及ぶ北ヨーロッパ巡りのクライマックスとして、正に相応しい体験だった。
彼女が宿泊しているのは、ロヴァニエミから2時間ほど北上した小さな村。クルマの中でも、我々の世界旅の事や彼女の東欧の珍道中など、話は弾む。きっとお互いに会話をする事に飢えていたのだろう。彼女が借りているキャビンはかなりの年代物だが、広くて快適。外にはサウナがあり、仕事が終わると自分で薪をくべて火を起こし、疲れを癒しているそう。フィンランドでは人口の1/3もの数が存在するサウナ。中で身体を洗ったり、冬は凍った湖に穴を開けてサウナと交互に入ったり、とても身近なものらしいのだが我々はまだ体験していなかった。その晩はトナカイの群が見つからなかったらしく、ジェシカも撮影がなかったので、夕飯を作ったり初のサウナを体験したりと静かな時間を過ごし、ゆっくり就寝。
翌日の夕方。ジェシカに連絡があり、トナカイを追い込めそうなので撮影が可能だとの事。また、我々が見にいっても問題ないとの事で、19:00頃に出発。1時間程走って待機場所へ。そこにはキャンピング・キャラバンが何台も停まっており、子供たちが出入りしている。2時間程待機していると泥まみれのバギーにまたがった、皮のジャケットを身に纏った色黒の男性陣が休憩に現れる。今回追い込んだのは100匹ほどと少ないが、これから狭い柵に追い込んで母子の確認をしたり、飼い主の印をつけたりするらしい。
彼らが休憩した後、トナカイを追い込む彼らとともに行動し、森を大回りして群れの背後へ回る。普段はラップランドの広大な大地に放し飼いにされているトナカイはとても臆病で、声や手の動きだけで追い込む事ができる。また、気温が上がると集団行動する習性があるので、人数を増やせば多くの頭数を一気に動かすことができる。そこでこの追い込み作業は、男性陣だけでなく女性や子供たちも一緒になって大勢で行い、徐々に狭い柵へと閉じ込めるというとても原始的な方法で行われる。
これまで見てきたフィンランド、もとい北欧とは全く異なるこの世界。大自然の中で生活する彼らのたくましさから、この環境の厳しさを改めて知ることができた。火山噴火と5月下旬の吹雪からスタートした、1ヶ月半に及ぶ北ヨーロッパ巡りのクライマックスとして、正に相応しい体験だった。
| 彼女の作品について興味のある方ははここをクリック(英語のみ) |
6.30.2011
北極圏の男たち ~其の壱
イナリのゲストハウスでのんびり朝食を食べながら、サエと直近の予定を打ち合わせ。ロシアのビザが下りる水曜の朝までにヘルシンキへ戻ればいいし、何度か使用の記録がされなかった為にユーレール・パスもふんだんに使えるので、適当に南下しながら面白そうなところで時間を過ごすのもいいだろうという事で合意。まずは、北部ラップランド地方の首都であるロヴァニエミへ向かうことに。人口5万人弱のこの町は、ちょうど北極圏の線上に位置し、サンタクロース・ヴィレッジや(冬のみ)オーロラを眺める事のできるガラスのカマクラがあり、観光客が多いらしい。人工的な観光施設は興味ないのだが、今週末は夏至を祝うミッドサマーナイト・フェスティバルがあるとの事で行ってみることに。
いざ到着してみると、とても寂れた雰囲気の町並み。観光客の多くは、バスツアーで来ている中国人の団体。夜まで待ったお祭りも活気があるわけではなく、河岸で大きな火を焚き、近くのテントでは老夫婦たちがフィンランド風演歌のような音楽にあわせて踊っている。おもしろいかなと思ったが入場料が17ユーロで断念。少々ガッカリしながら2泊。
我々がフィンランドに滞在している短い間、実はたまたまラップランド地方でドキュメンタリー映画を撮影している友人がいた。ジェシカは、日本でドキュメンタリー映画を撮影している際に出会った若手監督で、サエの兄やボクの甥が作品に深く関わった関係で出会った、才能溢れるアーティスト。今回撮影している作品はトナカイ飼いの文化と生活を追う記録だそうで、既に一年も前からこの地で撮影しているらしい。できれば会いたいと思いつつも、不定期なスケジュールやクルマがないと行けないような奥地での撮影の為、正直無理かもしれないと思っていたのだが、我々がロヴァニエミを出発する当日朝に連絡があり、時間がとれたので町までくるとの事。少し暗かった北極圏滞在の最終日に光が射したように思えた。
其の弐へ続く…
いざ到着してみると、とても寂れた雰囲気の町並み。観光客の多くは、バスツアーで来ている中国人の団体。夜まで待ったお祭りも活気があるわけではなく、河岸で大きな火を焚き、近くのテントでは老夫婦たちがフィンランド風演歌のような音楽にあわせて踊っている。おもしろいかなと思ったが入場料が17ユーロで断念。少々ガッカリしながら2泊。
我々がフィンランドに滞在している短い間、実はたまたまラップランド地方でドキュメンタリー映画を撮影している友人がいた。ジェシカは、日本でドキュメンタリー映画を撮影している際に出会った若手監督で、サエの兄やボクの甥が作品に深く関わった関係で出会った、才能溢れるアーティスト。今回撮影している作品はトナカイ飼いの文化と生活を追う記録だそうで、既に一年も前からこの地で撮影しているらしい。できれば会いたいと思いつつも、不定期なスケジュールやクルマがないと行けないような奥地での撮影の為、正直無理かもしれないと思っていたのだが、我々がロヴァニエミを出発する当日朝に連絡があり、時間がとれたので町までくるとの事。少し暗かった北極圏滞在の最終日に光が射したように思えた。
其の弐へ続く…
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