乗客数28名。一人約一畳。これなら24時間も全く苦にならないだろう。ウランバートルで知り合った英国人の旅人もたまたま乗り合わせ、30分遅れて19:30に出発。進行方向へ沈む夕日が、次の国へ向かっていることを示してくれる。ビザなしでの滞在可能期間15日をフルに使わずの出国。内4日間は移動に費やし、めまぐるしい滞在になってしまったが、人々の優しさ、文化の複雑さ、そして食の美味さはまた触れてみたいと思いつつ、次の旅での楽しみとしてとっておく事にしようと思いながら次へと向かう。
8.22.2011
快適な移動手段
乗客数28名。一人約一畳。これなら24時間も全く苦にならないだろう。ウランバートルで知り合った英国人の旅人もたまたま乗り合わせ、30分遅れて19:30に出発。進行方向へ沈む夕日が、次の国へ向かっていることを示してくれる。ビザなしでの滞在可能期間15日をフルに使わずの出国。内4日間は移動に費やし、めまぐるしい滞在になってしまったが、人々の優しさ、文化の複雑さ、そして食の美味さはまた触れてみたいと思いつつ、次の旅での楽しみとしてとっておく事にしようと思いながら次へと向かう。
砂漠で彷徨う
ネットのアクセス規制により、更新が遅くなっています。まとめてアップする事になりますがご容赦ください(^^)

世界で最も内陸に位置する都市、ウルムチ(乌鲁木齐)を首府にもつ新疆ウイグル自治区は、中国の中でも異質な地区である。元々シルクロードの休憩地点としてタクラマカン砂漠付近のオアシスを中心に遊牧民が移り住むようになり、やがてこの付近は東トルキスタンとして栄えてきたが、その歴史は独立と隣国からの弾圧でいまだに抗争が耐えない。民族は漢、ウイグル、モンゴル、カザフ、キルギス、ロシア、トゥルクなどを中心に40以上も入り乱れ、市内でも路地を一本曲がるとここは本当に中国なのだろうかと疑うような景色に変わったりする。
その中でも、南疆方面の町、ホータン(和田)とカシュガル(喀什)はウイグル族の文化と歴史を垣間見る事のできる町と聞いており行く予定にしていたのだ が、7月21日にホータン市内で警察への報復による襲撃事件が、また7月30、31日にはカシュガルで通行人にまで被害が及ぶ連続殺傷事件があり、地元の 人とも相談の上で断念する事に。民族・宗教問題から勃発する事件は、とても日本人の僕たちには理解できない程複雑で、そして重い。

予定変更を余儀なくされた僕らは、せめて世界で二番目に大きい砂漠を見に行きたいと思い始めるが、地元の人に相談すると自殺行為だという。ウイグル後で死を意味するタッキリ、そんな名前を持つ場所は素人の僕らにはとてもではないが無理らしい。あちこちで相談した結果、ウルムチ市の東約300km辺りに位置する町、ピチャン(鄯善)からクムタグ砂漠にいける事を知り、バスで向かう。道中には遺跡が多く残る観光地のトルファン(吐鲁番)や西遊記で知られる火焔山もあり、乾いた土地が連なっている。4時間後にピチャンヘ到着してクーラーの効いたバスを降りると、暑いなんてものではない。とにかく飛び込みで宿に入ると外国人は泊まれないとの事。町に3軒しかない外国人の宿泊可能な宿を教えてもらい、一息ついてから食事へ。そこで気温を尋ねると45℃。暑いわけだ。
サエがバスで知り合った人によると、僕たちが訪れようとしている砂山公園は外国人価格が設定されているので、タクシーの運転手にチケットを購入してもらうといいとの事。夕暮れに訪れたいと思っていた僕らは、昼食後に下見がてら向かって見る事にする。若いタクシーの運転手に情報どおりのことを聞いてみると、砂漠なら無料で入れるところへ連れて行ってくれるらしい。入り組んだ路地を抜けてぶどう棚の脇で車を止めると、待っているから見てきなと言ってくれる。なんて親切。フェンスをくぐり登りにくい砂山を登り切ると、そこは延々と広がる砂漠だった。感動も大きいが、木陰一つないそこは正に灼熱地獄。照り返しも半端なく、温度は町中とは比べものにならない。写真だけ撮ると熱くなったカメラを抱えてすぐにタクシーへ戻り、また夕方出直すことに。
この小さな町は大通り一本に全ての店が連なっていて、砂漠に近い地域にウイグル族、国道に近い方に漢族が居住している。砂漠から離れると、夜市のある中心地を境目に、砂の建物は見慣れたコンクリート建造物へと変わっていく。歩道には並木が植えてあり、日陰の通路になっている。これがなければ外など歩くことはできない程、まるで近くで何かが燃えているような乾燥した暑さだ。本当に芭蕉扇が必要かもしれない。
20時頃同じタクシーに迎えにきてもらい、今度は公園に行くことを告げるとチケットを買ってきてくれるとのこと。一人30元と書かれたチケットを手にして入口へ行くと、確かに英語では60元と書かれている。問題なく入場してしばらく進むと広大な砂山が広がっている。登って高台から夕日をみようということで、慣れない足取りで砂漠を歩くが登り坂は足下が崩れて思うように進まない。常に水を飲みながら一時間半ほどかけて一番高い砂山に登ると、その先に見えるのは永遠に続く砂山。美しさとともに、呑み込まれて方向感覚を失いそうな恐ろしさを垣間見た気がした。
帰りは原付自転車に荷台をつけた一元タクシーへ乗り、夜市へ。中央アジアがますます楽しみになってきた。
世界で最も内陸に位置する都市、ウルムチ(乌鲁木齐)を首府にもつ新疆ウイグル自治区は、中国の中でも異質な地区である。元々シルクロードの休憩地点としてタクラマカン砂漠付近のオアシスを中心に遊牧民が移り住むようになり、やがてこの付近は東トルキスタンとして栄えてきたが、その歴史は独立と隣国からの弾圧でいまだに抗争が耐えない。民族は漢、ウイグル、モンゴル、カザフ、キルギス、ロシア、トゥルクなどを中心に40以上も入り乱れ、市内でも路地を一本曲がるとここは本当に中国なのだろうかと疑うような景色に変わったりする。
その中でも、南疆方面の町、ホータン(和田)とカシュガル(喀什)はウイグル族の文化と歴史を垣間見る事のできる町と聞いており行く予定にしていたのだ が、7月21日にホータン市内で警察への報復による襲撃事件が、また7月30、31日にはカシュガルで通行人にまで被害が及ぶ連続殺傷事件があり、地元の 人とも相談の上で断念する事に。民族・宗教問題から勃発する事件は、とても日本人の僕たちには理解できない程複雑で、そして重い。
| 暴動を警戒して巡回中のパトロール員 |
予定変更を余儀なくされた僕らは、せめて世界で二番目に大きい砂漠を見に行きたいと思い始めるが、地元の人に相談すると自殺行為だという。ウイグル後で死を意味するタッキリ、そんな名前を持つ場所は素人の僕らにはとてもではないが無理らしい。あちこちで相談した結果、ウルムチ市の東約300km辺りに位置する町、ピチャン(鄯善)からクムタグ砂漠にいける事を知り、バスで向かう。道中には遺跡が多く残る観光地のトルファン(吐鲁番)や西遊記で知られる火焔山もあり、乾いた土地が連なっている。4時間後にピチャンヘ到着してクーラーの効いたバスを降りると、暑いなんてものではない。とにかく飛び込みで宿に入ると外国人は泊まれないとの事。町に3軒しかない外国人の宿泊可能な宿を教えてもらい、一息ついてから食事へ。そこで気温を尋ねると45℃。暑いわけだ。
サエがバスで知り合った人によると、僕たちが訪れようとしている砂山公園は外国人価格が設定されているので、タクシーの運転手にチケットを購入してもらうといいとの事。夕暮れに訪れたいと思っていた僕らは、昼食後に下見がてら向かって見る事にする。若いタクシーの運転手に情報どおりのことを聞いてみると、砂漠なら無料で入れるところへ連れて行ってくれるらしい。入り組んだ路地を抜けてぶどう棚の脇で車を止めると、待っているから見てきなと言ってくれる。なんて親切。フェンスをくぐり登りにくい砂山を登り切ると、そこは延々と広がる砂漠だった。感動も大きいが、木陰一つないそこは正に灼熱地獄。照り返しも半端なく、温度は町中とは比べものにならない。写真だけ撮ると熱くなったカメラを抱えてすぐにタクシーへ戻り、また夕方出直すことに。
この小さな町は大通り一本に全ての店が連なっていて、砂漠に近い地域にウイグル族、国道に近い方に漢族が居住している。砂漠から離れると、夜市のある中心地を境目に、砂の建物は見慣れたコンクリート建造物へと変わっていく。歩道には並木が植えてあり、日陰の通路になっている。これがなければ外など歩くことはできない程、まるで近くで何かが燃えているような乾燥した暑さだ。本当に芭蕉扇が必要かもしれない。
20時頃同じタクシーに迎えにきてもらい、今度は公園に行くことを告げるとチケットを買ってきてくれるとのこと。一人30元と書かれたチケットを手にして入口へ行くと、確かに英語では60元と書かれている。問題なく入場してしばらく進むと広大な砂山が広がっている。登って高台から夕日をみようということで、慣れない足取りで砂漠を歩くが登り坂は足下が崩れて思うように進まない。常に水を飲みながら一時間半ほどかけて一番高い砂山に登ると、その先に見えるのは永遠に続く砂山。美しさとともに、呑み込まれて方向感覚を失いそうな恐ろしさを垣間見た気がした。
帰りは原付自転車に荷台をつけた一元タクシーへ乗り、夜市へ。中央アジアがますます楽しみになってきた。
8.15.2011
2000kmの横断
モンゴルから到着した列車は、中国側で車輪を履き替えるらしい。入国通関よりもそっちに手間がかかるのに驚き。
中国の景色はどの自然をみても手が加えられているような気がする。整列した木々、線路脇に添えられたヒマワリ、荒地に咲く発電用風車。工事用車両が走った跡、無造作に建てられた掘立て小屋、そんな風景が果てしなく広い景観の最前面に連なっている。
1140km離れた内モンゴルのフフホトへ向かう寝台列車に乗り合わせたのは、ウランバートルの親戚を訪れていた5人家族と、新疆出身の中年男性。サエが北京語を話す外国人である事がわかると、家族で隣の客室から流れ込みサエを質問攻めにする。西へ向かうため、正直どれだけ通じるかわからなかった北京語は、新たな情報を収集する重要な道具である事がわかり安心。サエは相当疲れたようだ…
モンゴル語で青い都市を意味するフフホト(呼和浩特)は、人口114万人の内蒙古自治区の首府。電車が駅に到着したのは22:00、 駅前に広がる近代的な都市に圧倒されつつ、そのままホステルへ直行。翌朝ウルムチ行の切符を買いに駅へ行くと既に長蛇の列。電車の切符には5種類あり、軟卧・硬卧と呼ばれる寝台席、軟座・硬座と呼ばれる座席、そして立席。ようやくカウンターにたどり着くと、ウルムチへ行くには交通の拠点である蘭州で乗り換える必要がある事、そして夏休みのせいか寝台席と軟座は売り切れている事を知る。仕方なく堅座切符を購入。蘭州までの道のり1144km、19時間の旅にかかる電車賃は一人70元、約850円と格安である。近所のスーパーで食料を買い込み、人がひしめく待合室で到着を待ち、押し合いながら列車に乗り込み座石を確保する。
携帯電話から流れる長渕剛の中国版「とんぼ」が響き渡り、タバコの煙が車内を蔓延する。開けっ放しの窓から砂埃が吹き込み、床はペットボトルやヒマワリの種の殻で埋めつくされている。4人掛けのボックス席にはいつの間にか人数が増え、通路や乗車口付近はシャツを脱いだ中年男性が陣取り、車両につき定員122名と書かれた札はもはやなんの意味も持たない。これが電車の旅の実情である。トイレに立つとその短い時間だけでも、と誰かが座るが戻ってくればすぐに返してくれる。始発駅以外で切符を購入した人は全員立席の為、席が空くのを待っているのは一人ニ人ではない。サエは向かい合わせた40代のオタク男性に捕まり、日本の戦争責任や漢字を中国から借りている事について4時間程の説教を受けている。かわいそうだがどうする事もできない。周りの冷ややかなコメントでそのうち別の席に移って行ったが、他の人も我々には興味津々。身分証明を求められた時も、人民身分証明書でなくパスポートを出した僕らの席に群がり覗き込んでいる。直角に固定された背もたれに寄りかかり、荷物や人の合間を縫って脚を座席下へ伸ばして寝てみる。休まるはずはない。
10:50、中国中央に位置する交通の拠点である蘭州に到着。硬座よりも固くなった首をさすりながら切符売り場へ向かうが、ウルムチ行きの電車は数日後まで全て売り切れ。寝台付きバスもあると聞いていたのでバス停に行ってみると所要時間は23時間。寝台車はなく、値段は380元。昨日の電車と比較すると法外な値だが、椅子がリクライニングできれば硬座よりもいいだろうという事で即決。町をブラブラしてから、再びバス停へ。
17:00出発予定のバスは満席。座席は膝が前の席に触る程狭く、背もたれは傾く事がない。何をしているのか、バスはあちこちに立ち寄ったのち18:30頃にようやく出発。高速道路に乗ってからしばらくすると道路閉鎖につき迂回を強いられる。運転は荒く、一車線ずつの追い越しは加速と急ブレーキで危険極まりない。遅れる時間を取り戻すつもりなのだろうか。22:00頃バスが線路の高架下の手前で理由不明の停車。前後には何台もの車両が連なっている。事故だろうか。車が止まると車内にはタバコと古くなった果実のような匂いが充満する。とにかく待つしかない。
バスからは電車では見えない景色が広がる。何度も迂回を強いられた高速道路の新設・増設工事や、あちこちに聳え立つ高速鉄道の高架設置工事。まだ動き始めていない風力発電の風車や、あらゆるところに張り巡らされている電線。これらのインフラ整備が急ピッチで進められているのを見ると、国の成長率の上昇にも納得できる。ただ、急成長と遂げた国側の移行に追いついていない国民の認知度とのギャップが、交通ルールの軽視などから見てうかがえる。前述の通り運転は荒くブレーキ痕は路上のいたるところにあり、おそらく死亡事故と思われる大型車の交通事故も4件目撃した。聞くと一日あたり600件もの交通事故が発生しているらしい。ただただ巻き込まれない事を祈るばかり。
満席のバスには出稼ぎ労働者が多く乗っており、誰もがとても親切なのだが、質問はお金の事が多い。既にこの旅で使ったお金が彼らの年収よりも多い事など当然言えるわけもなく、話を濁す事で精一杯。通路は相変わらず汚いが、そこに布団を敷いて寝ている人もいる。出発から20時間を回ったころから後数時間では着かないだろうと薄々感じていたが、標識の地名がわからずどの辺りにいるのか検討がつかない。22:00頃にようやく「乌鲁木齐 475km」と書かれた看板が。え?まだそんなあるの?到着は明け方だろうと腹を括り、座席の間で膝を丁寧に折りたたんで就寝。
バスは6:00にウルムチ市内へ滑り込む。2400kmも離れた北京時間を適応しているせいだろう、この時間でもまだ薄暗いが想像以上に大都市である事は見る事ができる。到着してからすぐにゲストハウスを訪れるが、早すぎて14:00まで待てと言われてしまう。あと8時間か…結局、何時間寝っ転がっていないんだろう…
中国の景色はどの自然をみても手が加えられているような気がする。整列した木々、線路脇に添えられたヒマワリ、荒地に咲く発電用風車。工事用車両が走った跡、無造作に建てられた掘立て小屋、そんな風景が果てしなく広い景観の最前面に連なっている。
モンゴル語で青い都市を意味するフフホト(呼和浩特)は、人口114万人の内蒙古自治区の首府。電車が駅に到着したのは22:00、 駅前に広がる近代的な都市に圧倒されつつ、そのままホステルへ直行。翌朝ウルムチ行の切符を買いに駅へ行くと既に長蛇の列。電車の切符には5種類あり、軟卧・硬卧と呼ばれる寝台席、軟座・硬座と呼ばれる座席、そして立席。ようやくカウンターにたどり着くと、ウルムチへ行くには交通の拠点である蘭州で乗り換える必要がある事、そして夏休みのせいか寝台席と軟座は売り切れている事を知る。仕方なく堅座切符を購入。蘭州までの道のり1144km、19時間の旅にかかる電車賃は一人70元、約850円と格安である。近所のスーパーで食料を買い込み、人がひしめく待合室で到着を待ち、押し合いながら列車に乗り込み座石を確保する。
携帯電話から流れる長渕剛の中国版「とんぼ」が響き渡り、タバコの煙が車内を蔓延する。開けっ放しの窓から砂埃が吹き込み、床はペットボトルやヒマワリの種の殻で埋めつくされている。4人掛けのボックス席にはいつの間にか人数が増え、通路や乗車口付近はシャツを脱いだ中年男性が陣取り、車両につき定員122名と書かれた札はもはやなんの意味も持たない。これが電車の旅の実情である。トイレに立つとその短い時間だけでも、と誰かが座るが戻ってくればすぐに返してくれる。始発駅以外で切符を購入した人は全員立席の為、席が空くのを待っているのは一人ニ人ではない。サエは向かい合わせた40代のオタク男性に捕まり、日本の戦争責任や漢字を中国から借りている事について4時間程の説教を受けている。かわいそうだがどうする事もできない。周りの冷ややかなコメントでそのうち別の席に移って行ったが、他の人も我々には興味津々。身分証明を求められた時も、人民身分証明書でなくパスポートを出した僕らの席に群がり覗き込んでいる。直角に固定された背もたれに寄りかかり、荷物や人の合間を縫って脚を座席下へ伸ばして寝てみる。休まるはずはない。
| 世界四大川のひとつ、黄河。後方に見えるのは蘭州市内 |
10:50、中国中央に位置する交通の拠点である蘭州に到着。硬座よりも固くなった首をさすりながら切符売り場へ向かうが、ウルムチ行きの電車は数日後まで全て売り切れ。寝台付きバスもあると聞いていたのでバス停に行ってみると所要時間は23時間。寝台車はなく、値段は380元。昨日の電車と比較すると法外な値だが、椅子がリクライニングできれば硬座よりもいいだろうという事で即決。町をブラブラしてから、再びバス停へ。
17:00出発予定のバスは満席。座席は膝が前の席に触る程狭く、背もたれは傾く事がない。何をしているのか、バスはあちこちに立ち寄ったのち18:30頃にようやく出発。高速道路に乗ってからしばらくすると道路閉鎖につき迂回を強いられる。運転は荒く、一車線ずつの追い越しは加速と急ブレーキで危険極まりない。遅れる時間を取り戻すつもりなのだろうか。22:00頃バスが線路の高架下の手前で理由不明の停車。前後には何台もの車両が連なっている。事故だろうか。車が止まると車内にはタバコと古くなった果実のような匂いが充満する。とにかく待つしかない。
| まるでパリ・ダカール・ラリーのようなバス旅行 |
満席のバスには出稼ぎ労働者が多く乗っており、誰もがとても親切なのだが、質問はお金の事が多い。既にこの旅で使ったお金が彼らの年収よりも多い事など当然言えるわけもなく、話を濁す事で精一杯。通路は相変わらず汚いが、そこに布団を敷いて寝ている人もいる。出発から20時間を回ったころから後数時間では着かないだろうと薄々感じていたが、標識の地名がわからずどの辺りにいるのか検討がつかない。22:00頃にようやく「乌鲁木齐 475km」と書かれた看板が。え?まだそんなあるの?到着は明け方だろうと腹を括り、座席の間で膝を丁寧に折りたたんで就寝。
バスは6:00にウルムチ市内へ滑り込む。2400kmも離れた北京時間を適応しているせいだろう、この時間でもまだ薄暗いが想像以上に大都市である事は見る事ができる。到着してからすぐにゲストハウスを訪れるが、早すぎて14:00まで待てと言われてしまう。あと8時間か…結局、何時間寝っ転がっていないんだろう…
また会う日まで
ネットのアクセス規制により、更新が遅くなっています。まとめてアップする事になりますがご容赦ください(^^)
電車がゆっくりと動き始める。遅い夕日に照らされた三丁目の風景は鈍い黄金色に染まっている。3週間前、到着した際に似たような風景を目にしているが、写真のように表面しか見えなかったその時の風景とは異なり、今は路地裏の子供たちやゲルの中の生活までが透けるように見えてくる。
朝起きると延々と続く砂漠が広がっていた。ゴビ砂漠。果てしなく何も見えない風景の中にポツンとあるゲルは、まるで円盤型の宇宙船が砂漠に不時着したかようだ。出国通関を行なうザミンウードに到着する頃には、次の国へ訪れる楽しみがジワジワと湧いてくると共に、モンゴルを離れる小さな寂しさが込み上げてきた。ありがとう。
電車がゆっくりと動き始める。遅い夕日に照らされた三丁目の風景は鈍い黄金色に染まっている。3週間前、到着した際に似たような風景を目にしているが、写真のように表面しか見えなかったその時の風景とは異なり、今は路地裏の子供たちやゲルの中の生活までが透けるように見えてくる。
朝起きると延々と続く砂漠が広がっていた。ゴビ砂漠。果てしなく何も見えない風景の中にポツンとあるゲルは、まるで円盤型の宇宙船が砂漠に不時着したかようだ。出国通関を行なうザミンウードに到着する頃には、次の国へ訪れる楽しみがジワジワと湧いてくると共に、モンゴルを離れる小さな寂しさが込み上げてきた。ありがとう。
キャンプだホイ♪
ネットのアクセス規制により、更新が遅くなっています。まとめてアップする事になりますがご容赦ください(^^)
5日間のキャンプへ行く事にした。ウランバートルにある旅行会社では日数と行き先によってツアーが組まれているが、他の旅行者と一緒では自由が少ないと感じ、宿泊先を通じて運転者とガイドを直接雇う事にした。彼らの食費、ガソリンなど全て僕らが負担して、全部で一日一人あたり4000円程度だから、結果ツアーよりも安価で済んでしまった。広大なモンゴルを巡るのに5日間は短いので、中央モンゴル付近にとどまり、走行距離約1000km程度の行程を組んでもらい出発。
少し走ると景色は高原から草原、山間から平地へとゆっくり移り変わる。これまでの疲れが出たのか、僕らもは昼食時を除きほとんど昼寝。到着したのはウランバートルに隣接する自然保護区、ボグドハーン・ウール。砂丘が広がる高原で、背景に連なる山から小川が流れてきている。テントを張り夕食を作っていると、十数頭もの馬の群れが頭を垂れて草をむしりながら、我々がそこにいる不自然さを気にする事なく時間をかけて通り過ぎてゆく。
翌日、朝食のコーヒーと紅茶をそれぞれが飲み終わると、馬を3頭引き連れた12歳ほどの少年がキャンプを訪れてきた。前日に僕らがお願いしていた乗馬のガイドだ。モンゴルで出会った外国人の旅人には、馬で数日間移動しながらキャンプをするという体験をする人が多い。中には馬を購入して数週間単位で旅をする人もいるのだが、初心者の僕らはおとなしい馬で半日の体験版のみに留めた。鐙に足を掛け、モンゴル特有の木製鞍に跨る。短い手綱を片手に持ち、腹を踵で軽く蹴って促すと調子良く歩き始めた。午に乗るのは二十数年ぶりだから、懐かしいよりも真新しい。振り返ると、サエの馬はおとなしすぎるのかなかなか歩こうとしない。ガイドは自分の持っている鞭で停留中の馬の尻を叩き、歩き始めたところでそれをサエに渡すが、かわいそうだと思っているのだろう、結局ほとんど使わなかったようだ。
夕方。故障した車を修理するため、僕らをキャンプ地に置いて運転者のバッチャが立ち去る。その間に槙を集め、火を起こしてそこで料理。風の強いこの乾いた土地では、うまく火種さえ集めれば放っておいても火は燃えてくれる。代替え車で戻った彼と共に夕食を食べ、ウォッカと彼らの歌うモンゴルの歌に酔いしれながら、永遠に続く草原の上に寝転がり満点の星空を眺める。もし、棘のように硬い草が僕たちの背中を突ついてくれなければ、この幻想的な世界に吸い込まれていたかもしれない。
代替えした車も調子が悪い。3日目の午前中はオルコン湖の畔でノンビリと過ごし、昼食の後、あるゲルに立ち寄る。遊牧民から馬乳酒を購入するためだ。中央の床を陣取る男性数人と、母側の寝床に座る女性数人を前に、左側にある父側の寝床に腰掛ける。プラスティックのコップ並々に注がれた馬乳酒を持った手がこちらに向かって伸び、それを左手で受け取る。乳白であるはずの液体には何かがいくつも浮いているが、無視して一口味見。酸味がある。放置されたヨーグルトのような…次のコメントを待つ記者会見場のように皆の視線がコップに集まり、残りをのどの奥へ流し込む。フーッ…え?もう一杯?客人である我々に断る権利は無い。人肌ほどにぬるいビールも一杯もらい、引率者がペットボトル三本に流し込まれた液体を買うと、ようやく開放された。
エンジンルームから煙が漏れつつもキャンプ地に到着する。まずは車の状態を確認するのかと思いきや、バッチャは先ほどのペットボトルを開けるとラッパ飲みしてから僕のほうへ差し出す。うーん…やっぱりお土産のために買ったのではないのか。その昔アルバイトをしていた際に、あるバーテンダーから癖のある酒はまずいと思っても三回飲んだら好きになると教わった事がある。 ボトルを受け取りそのままの勢いで口に流し込むと、先ほどのものより新鮮なのだろうか、炭酸飲料のように刺激があって飲みやすい。好きになったという事はないが、機会があればもう一度飲んでみようと思ってしまった。
4日目。午前中はのんびりし、夕方を目指してフスタイ国立公園を訪れ、水を飲むために川へ下ってくる野生の馬をみようという事になった。距離およそ100km。のんびり向かっても2時間程度。14:30にキャンプ地を後にし、目的地へ向かったのだが10分ほど走ったところで止まってしまう。フッドを開けると湯気と煙が勢いよく一面を満たす。完全なオーバーヒート。見るとパイプに亀裂が入り、そこから冷却水が漏れている。バッチャがパイプをつなぎ直し、車に積んである水を全部ラジエータに入れ、再出発。10分後にもう一度停止し改めて見ると、今度はプラスティックカバーの部分に亀裂が入っている。ラジエータは留め金が折れて宙に浮いた状態、それを紐で縛りつけるバッチャ。道路の状態がとても悪いモンゴルでは、街中でも一般人がジャッキとロープで車を直している姿をよく目にするが、僕ならこんな状態のエンジン室を見た瞬間に降参してしまうだろう。エポキシ接着剤と平紐でデリケートな機械を直している間、僕らは15分ほど離れた近所の家を訪れて貴重な水20リットル程を分けてもらい、それを積んでまた出発。停まっては水で冷却し、また少し進む。騙し騙しで小さな村へ到着し、そこの修理工場を探す。村のハズレにある掘立て小屋には車が何台も並び、多くがパンクの修理待ちのようだ。いくつかの方法を試してくれた修理屋は、3時間程かかってようやくウランバートルへ明日帰れる程度の補修を終えてくれる。キャンプ地に到着したのは12時を回っていた。
最終日。朝早く行けば野生馬を見る事ができるかもしれないとのことで、眠いままテントをたたんで出発。モンゴルの野生馬は1969年に確認されて以来絶滅したとされていたが、20世紀前半に動物園の鑑賞用としてヨーロッパへ持ち帰られた同種の子孫を野生に返し、現在では約200等程が守られた国立公園の環境で生息している。ちゃんと帰れるかどうかの方が心配だったので見に行くのは正直どちらでもよかったが、行ってみると馬の群れはちょうど水飲みを終え、風上へ向かって山を登っているところだった。その後は直接ウランバートルへ向けて走ってもらう。2度程水分補給をしたが、昼前に無事帰還。皆さん、お疲れさまでした。
少し走ると景色は高原から草原、山間から平地へとゆっくり移り変わる。これまでの疲れが出たのか、僕らもは昼食時を除きほとんど昼寝。到着したのはウランバートルに隣接する自然保護区、ボグドハーン・ウール。砂丘が広がる高原で、背景に連なる山から小川が流れてきている。テントを張り夕食を作っていると、十数頭もの馬の群れが頭を垂れて草をむしりながら、我々がそこにいる不自然さを気にする事なく時間をかけて通り過ぎてゆく。
夕方。故障した車を修理するため、僕らをキャンプ地に置いて運転者のバッチャが立ち去る。その間に槙を集め、火を起こしてそこで料理。風の強いこの乾いた土地では、うまく火種さえ集めれば放っておいても火は燃えてくれる。代替え車で戻った彼と共に夕食を食べ、ウォッカと彼らの歌うモンゴルの歌に酔いしれながら、永遠に続く草原の上に寝転がり満点の星空を眺める。もし、棘のように硬い草が僕たちの背中を突ついてくれなければ、この幻想的な世界に吸い込まれていたかもしれない。
代替えした車も調子が悪い。3日目の午前中はオルコン湖の畔でノンビリと過ごし、昼食の後、あるゲルに立ち寄る。遊牧民から馬乳酒を購入するためだ。中央の床を陣取る男性数人と、母側の寝床に座る女性数人を前に、左側にある父側の寝床に腰掛ける。プラスティックのコップ並々に注がれた馬乳酒を持った手がこちらに向かって伸び、それを左手で受け取る。乳白であるはずの液体には何かがいくつも浮いているが、無視して一口味見。酸味がある。放置されたヨーグルトのような…次のコメントを待つ記者会見場のように皆の視線がコップに集まり、残りをのどの奥へ流し込む。フーッ…え?もう一杯?客人である我々に断る権利は無い。人肌ほどにぬるいビールも一杯もらい、引率者がペットボトル三本に流し込まれた液体を買うと、ようやく開放された。
エンジンルームから煙が漏れつつもキャンプ地に到着する。まずは車の状態を確認するのかと思いきや、バッチャは先ほどのペットボトルを開けるとラッパ飲みしてから僕のほうへ差し出す。うーん…やっぱりお土産のために買ったのではないのか。その昔アルバイトをしていた際に、あるバーテンダーから癖のある酒はまずいと思っても三回飲んだら好きになると教わった事がある。 ボトルを受け取りそのままの勢いで口に流し込むと、先ほどのものより新鮮なのだろうか、炭酸飲料のように刺激があって飲みやすい。好きになったという事はないが、機会があればもう一度飲んでみようと思ってしまった。
4日目。午前中はのんびりし、夕方を目指してフスタイ国立公園を訪れ、水を飲むために川へ下ってくる野生の馬をみようという事になった。距離およそ100km。のんびり向かっても2時間程度。14:30にキャンプ地を後にし、目的地へ向かったのだが10分ほど走ったところで止まってしまう。フッドを開けると湯気と煙が勢いよく一面を満たす。完全なオーバーヒート。見るとパイプに亀裂が入り、そこから冷却水が漏れている。バッチャがパイプをつなぎ直し、車に積んである水を全部ラジエータに入れ、再出発。10分後にもう一度停止し改めて見ると、今度はプラスティックカバーの部分に亀裂が入っている。ラジエータは留め金が折れて宙に浮いた状態、それを紐で縛りつけるバッチャ。道路の状態がとても悪いモンゴルでは、街中でも一般人がジャッキとロープで車を直している姿をよく目にするが、僕ならこんな状態のエンジン室を見た瞬間に降参してしまうだろう。エポキシ接着剤と平紐でデリケートな機械を直している間、僕らは15分ほど離れた近所の家を訪れて貴重な水20リットル程を分けてもらい、それを積んでまた出発。停まっては水で冷却し、また少し進む。騙し騙しで小さな村へ到着し、そこの修理工場を探す。村のハズレにある掘立て小屋には車が何台も並び、多くがパンクの修理待ちのようだ。いくつかの方法を試してくれた修理屋は、3時間程かかってようやくウランバートルへ明日帰れる程度の補修を終えてくれる。キャンプ地に到着したのは12時を回っていた。
最終日。朝早く行けば野生馬を見る事ができるかもしれないとのことで、眠いままテントをたたんで出発。モンゴルの野生馬は1969年に確認されて以来絶滅したとされていたが、20世紀前半に動物園の鑑賞用としてヨーロッパへ持ち帰られた同種の子孫を野生に返し、現在では約200等程が守られた国立公園の環境で生息している。ちゃんと帰れるかどうかの方が心配だったので見に行くのは正直どちらでもよかったが、行ってみると馬の群れはちょうど水飲みを終え、風上へ向かって山を登っているところだった。その後は直接ウランバートルへ向けて走ってもらう。2度程水分補給をしたが、昼前に無事帰還。皆さん、お疲れさまでした。
裏の旅クッキング:羊の解体
ネットのアクセス規制により、更新が遅くなっています。まとめてアップする事になりますがご容赦ください(^^)
ここモンゴルでラム肉をよく食べるのは有名な話。ここでは僕らが見た内容に基づいて、その絞め方と調理についてを解説してみようと思う。相当生々しいので苦手な方はこの先を読まないように。
ウランバートルに到着した日とその数日後、僕らの宿泊するゲストハウスでは羊の解体ショー(というか彼らにとっては見世物をしていたつもりはないようだが)を行っていた。これはどこの家でも自分たちで行うようで、細かい部分は異なるようだが大まかに説明すると、腹部に切り込みをいれて手を突っ込み、動脈を指で切るらしい。体内で血を流させる事によって肉に「旨味」を染み込ませるらしい。他の国ではどうやっているのか知らないが、羊は腹部を切られた痛みしか感じる事がなく、最も非残酷な絞め方と地元の人は説明する。僕はそういう行為を進んで見たいとは思わないのだが、興味津々のサエは前脚を握られて連れていかれる羊の後を追っかけていった。数分後、真っ白な顔で戻ってくると弱々しい声で、「心臓取り出してた…」。
その後、頭を落として胴体、後脚をそれぞれ半分に分けているようだ。郊外へいった際、この状態で外に干されている光景をよく見かけた。調理は至ってシンプルなものが多く、煮込みスープ、麺との炒め物、湯掻きなどが多かったが、北海道のジンギスカンのようなバーベキュー・スタイルのようなものは見かけなかった。野菜は非常に少なく、ジャガイモと人参が入っていれば当たりなほう。どれも同じ味付けなので、三週間もいるとさすがに飽きてきた。ちなみに、元々ラムを好まないサエは、三日目までは頑張って食べていた。
ここモンゴルでラム肉をよく食べるのは有名な話。ここでは僕らが見た内容に基づいて、その絞め方と調理についてを解説してみようと思う。相当生々しいので苦手な方はこの先を読まないように。
ウランバートルに到着した日とその数日後、僕らの宿泊するゲストハウスでは羊の解体ショー(というか彼らにとっては見世物をしていたつもりはないようだが)を行っていた。これはどこの家でも自分たちで行うようで、細かい部分は異なるようだが大まかに説明すると、腹部に切り込みをいれて手を突っ込み、動脈を指で切るらしい。体内で血を流させる事によって肉に「旨味」を染み込ませるらしい。他の国ではどうやっているのか知らないが、羊は腹部を切られた痛みしか感じる事がなく、最も非残酷な絞め方と地元の人は説明する。僕はそういう行為を進んで見たいとは思わないのだが、興味津々のサエは前脚を握られて連れていかれる羊の後を追っかけていった。数分後、真っ白な顔で戻ってくると弱々しい声で、「心臓取り出してた…」。
その後、頭を落として胴体、後脚をそれぞれ半分に分けているようだ。郊外へいった際、この状態で外に干されている光景をよく見かけた。調理は至ってシンプルなものが多く、煮込みスープ、麺との炒め物、湯掻きなどが多かったが、北海道のジンギスカンのようなバーベキュー・スタイルのようなものは見かけなかった。野菜は非常に少なく、ジャガイモと人参が入っていれば当たりなほう。どれも同じ味付けなので、三週間もいるとさすがに飽きてきた。ちなみに、元々ラムを好まないサエは、三日目までは頑張って食べていた。
登録:
投稿 (Atom)