9.19.2011

東欧諸国のビール



Kamenitza, lager, 4.4%, Plovdiv, Bulgaria

Lav, lager, 5.0%, Ceralevo, Serbia
Jalen Pivo, 5.0%, Apatin, Serbia


Soproni, 4.5%,  Budapest, Hungary
Dreher Classic, 5.2%, Budapest, Hungary




ブダ + ペスト




ブダペスト。宿泊先は可愛らしいゲストハウスで、スタッフも親切。何よりありがたいのは英語が通じる事。フロントで地図をもらって街へ出る。市内は、固定観念にあるヨーロッパの歴史を感じさせる街並みで、広いが歩きやすい。知らなかったのだが、ドナウ川を境にブダ側とペスト側にわかれている。初日はブダ側の城や教会を訪れ、二日目は自転車を借りてまず温泉。のんびり公園を巡ったりし、移動続きの数日で減ったエネルギーを充電。


 
 
 
一日半じゃ何もできないなぁ。


9.18.2011

予定、計画

イスタンブールから目指す次の目的地はオランダ。そこで僕の友人達と合流し、その後パリへ移動してサエの友人と会う。この旅に出てから三ヶ月半にして初めて他人と共有する予定。イスタンブールからアムステルダムまでの距離は直線でおよそ2200km。与えられた日数は9日間。これまで具体的なスケジュールを持たずに移動してきた僕らにとってはひとつのチャレンジである。予定よりも早く出発する事を決め、行程を組んでみる。セルビア経由か、ルーマニア経由か。チェコは?クロアチアは?ポーランドは?未知の東欧は興味深い。でも時間が足りない。最終的に決めたルートは、セルビアのベオグラード、ハンガリーのブダペスト、そしてオーストリアのウィーンにそれぞれ二泊ずつする事にした。イスタンブール~ベオグラードは20時間、ウィーン~アムステルダムは12時間かけて移動する事になる。
 


ソフィアの路面電車
最初の夜行列車は、今はなきオリエント急行の線路をたどるバルカン・エクスプレス。二等寝台車両の六人部屋。乗車すると既に三人が僕らの部屋で待ち構えていたが、出発してみると他の部屋がガラ空きだったので、親切な車掌の計らいで人組一部屋が与えられる。ブルガリアとの国境には午前3時に到着。下車して出国手続きを行い、その2時間後に今度は車内で入国手続きを済ませる。翌日の昼を回った頃電車が首都ソフィアで停車すると、車掌が全員降りるようアナウンスする。よくわからないが、どうやらベオグラード行の連結を逃した僕らの車両は 7時間もここで釘付けらしい。半日を市内で過ごし、再び同じ列車に乗ってベオグラードへ向かう。


七時間後にホームへ戻ると我々の車両だけ放置されていた


早くも脱線した予定を取り戻すべく、さほど大きくはないベオグラードの街も半日だけの滞在にした。残念な事にテニス界の女王たちには一人も会わなかったが、長年に渡り紛争を通じて合併と独立を繰り返してきた旧ユーゴスラビア圏最大の都市が想像以上に発展していることに驚いた。街の一部には破壊されたビルがそのまま残してあり生暖かい傷跡として保存されていたが、ドナウ川周辺の落ち着いた雰囲気からはそういった一面を見ることはなかった。




その晩も夜行列車。今度は更に安い八人部屋の座席で一泊。朝6時にブダペストへ到着し、駆け込みでゲストハウスを探し、まず昼寝。さて、間に合う事やら。

9.08.2011

トルコのビール

ようやくコクのあるビールにたどり着いたと感じた。エーゲ海側にあるエフェスで生産されているこのビールだが、ギリシャ人に言わせれば「まだ味が足りない」らしい。

Efes Pilsen, pilsner, 5.0%, Efes




  Efes Dark, 5.5%, Efes

アジアなのかヨーロッパなのか

トプカプ宮殿内のタイル模様
複雑な歴史の歩みの中で築かれてきたからだろう、トルコの文化はこういうものであるとは一概にいいがたい。人種をみるとトゥルク系民族は勿論、西はアーリア・アングロ系、東はクルド・ペルシャ系、北はロシア系やモンゴル・中央アジアの遊牧民族もいるだろう。文明は、古代ギリシャ、メソポタミア、ペルシャ、ローマなどが時代と共に寄せては文化や遺産を残してその波を引いてゆく。特に、アジアとヨーロッパの架け橋を担い、様々な帝国の首都として君臨してきたイスタンブールは、食、工芸、建造物、音楽、生活習慣において多くの文化が共存している。

ナンを使ったピザ、ピデ
伝統旋舞、セマー
歴史の波に揉まれてきた複数民族系地域を国家として統一したのはトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル氏。「トルコの父」を意味するアタトゥルクと呼ばれ敬愛される同氏は、1923年の建国と共に近代化を図る大改革を行い、ラテン文字の導入などを積極的に行った。この地で生活する様々な人種をトルコ人として唯一結びつけるのは、赤字に三日月と星を記した国旗のみではないだろうか。



人民の99%がイスラム教徒であるトルコ。約一ヶ月の断食月、ラマダンの最終日にイスタンブールへ戻った僕らが目にしたのは、おびただしい数の国旗だった。日が沈むと共に街中に人が溢れ、音楽やダンスのパフォーマンスが野外で披露される。気のせいだろうか、スカーフで頭部を覆う人々の表情も明るいように映る。翌日も、昼間から多くの家族連れが広場での食事を楽しんでいる。日出から日没までとはいえ飲食を制限される生活がどの様なものであるかは、宗教も節操も持たない僕には全く想像がつかない。


中国の蘭州からイスタンブールまでの長いシルクロードの道のり(中東は飛び越えてしまったが)を渡り、様々な文化や人と出合ってきた。元々は中国中央を南下し、チベット、インド、ネパールを巡る予定だった僕らの旅はルートから大きくそれてしまったが、それらはきっとそのうちに訪れるだろう。日本育ちの僕にとって、陸続きに繋がる国々の色が徐々に移り変わっていく様は不思議な光景だったが、つながっているのは国境の接面だけで無い事を知れたのはとても贅沢で貴重な体験だと感じた。

さて、次は欧州。予算を再確認しなくては。

バルーン・ファイト

カッパドキアのハブ・ターミナル、ネヴシェヒルに着いたのは朝6時。「着いたよ」と見知らぬ人に起こされ、寝ぼけながら言われるがままにバスを下車し、そのまま建物の中に案内される。気がつくと、パッケージツアーの勧誘。あーここでもしつこい押し売りかぁ…とがっかり。眠い目をこすりながら何度も断り、ギョレメ行のバスを待つ。
 




宿泊したShoe String Hostel
ギョレメはとがった岩が連なる不思議な景観の中に存在する小さな町。その昔、火山の噴火によって積もった火山灰が地層となり、雨風で崩れなかった固い部分が現在の奇怪岩として残っている。そこに住み着いた人々は空洞を利用して洞窟を作り、今でも一部が住居として使われている。謎に包まれているカイマルクの地下都市は、使用目的や発症の時期が不明だが一時期は難を逃れる為に多くのキリスト教信者が生活していたと言われている。 ミニバスを降り立つと最初に見えたのが空を泳ぐ無数の気球。そして、尖った歯のような岩の間に建てられた石造りの家々。朝のせいだろうか、静けさが少し肌寒い空気と共にゆっくりと街を包んでいる。そんな心地よい雰囲気に浸りながら宿を探してみる。ギョレメでは洞窟宿に泊まりたいというサエの希望どおりの部屋が見つかり、少し休んでから町を散策。世界遺産として多くの観光客が訪れるこの地では多くのカフェや土産物屋が道端に肩を並べているが、イスタンブールのような品のない呼び込みはない。やはりトルコの人々の優しさは都市を離れてみないとわからない。




サエにはもうひとつの希望があった。それは、上空500メートルの高さから地上すれすれまで、風の力に任せて空を遊泳する気球に乗ってみる事。ここギョレメには十数もの気球会社があり、空から奇怪岩を眺めるのはひとつの名物になっている。試してみたい気はあったが、高所が苦手な僕は地上からサエを見守る事にした。





熱気球は朝が早い。冷え込んだ朝5時に送迎車が来るとサエを送り出し、僕は一番高い場所から見物することにした。まだ暗い路地を迷い、闇に吠える野良犬たちを遠目に高台へ上がってみると、平地に無数の気球がキノコのように膨らみ始めているのが見える。気の早い気球がひとつだけ飛び立っていたが、地上の風船たちは夜明けを待つかのごとく、徐々にその大きな頭を擡げつつある。そのうちのひとつがゆっくりと動き始め、ふたつ目、みっつ目とタンポポの綿毛の様に飛び立っていく。気づくと空には気球のシルエットが広がり、まるで薄明かりの平面に穴が空いているかの様な錯覚をおこす。ようやく山の向こうから差し始めた朝日を浴び、風船たちはカラフルに輝きながら町を越えて西へと流れていき、やがて丘へ降りていった。


真ん中がサエの乗っている気球


久々に日の出を見てから一日が始まった。ちなみにこの日の夕日は、サエと同じ高度から眺めることができた。


9.03.2011

トルコの穴場

人口1250万人の巨大都市、イスタンブールを脱出したい僕らは早速行先の下調べを始めた。自然や文化を対象とした9つの世界遺産がユネスコに登録され、西はエーゲ海、南は地中海など美しい海に取り囲まれるトルコは自然も古代都市も見どころ満載だが、気をつけて選択しないとまた団体様御一行と合流してしまうことになる。僕らが選んだ場所は、北に広がる黒海へ面した小さな町アマスラ、沿岸部を更に東へ進んだトラブゾン、そしてアナトリア高原の中央に広がる世界遺産、カッパドキア。時間は7-10日で仮設定した。


決めたら行動は早い。荷物を奪還した翌日の朝に長距離バスターミナルへ行き、百社はあるであろうバス会社の中からアマスラ行の夜行バスを探して予約。いつも通り出発の一時間半前に再び訪れ、数十台並んだ中から正確なバスの乗り場を探す。トルコには長距離列車もあるが、バスで移動するのが主流らしい。大型バスはどれも新車のようにキレイで、行先に到着すると男の子がバケツとブラシを持って現れ、丁寧に洗車をしている。車内ではアテンダントが飲み物やお菓子を配り、サービスも抜群にいい。寝台ではないので決して寝やすいわけではないが、とても快適である。
 
 
 
朝の7時にアマスラへ到着。崖のような高台に囲まれ、黒海の静かな波がとても美しいこじんまりとした町。正にこんなところに来たかった、とサエと顔を見合わせてから朝食を探す。トルココーヒーとチャイを贅沢な気分で味わい、お次はバスのスケジュールを確認。近くの町からトラブゾン行の直行便が毎日出ている事を確認できたが、ここへ何日滞在するかは不明なので予約はせずに最後の宿探し。探すといっても大きなカバンを持っていると向こうから声をかけて来るので、ここで安価な宿に泊まろうと思うなら動き回らずに待っているのが正解なのかもしれない。歩き始めてすぐに我々を呼びとめてくれたのは、おばあさんと片言の英語を話す中年女性。どうやら親子のようで、しきりに「シービュー、シービュー」と言っている。…あ、景色ね。微笑んだ笑顔がとても優しく、それで決まり。重いバックパックを背負って坂を登り、更に階段を進む。着くとそこはサンルームから黒海を望めるアパートだった。どうやら不在のお姉さんの住まいらしく、家具が一式揃っている。キッチンもあり、これで一人当たり1200円。イスタンブールで泊まった三十人部屋とほぼ同額でこのゆとりはありがたい。
 
 
ここアマスラは、ローマ帝国時代に築かれた城とビザンツ帝国時代に加えられた砦のような城壁を中心に人々が生活しており、細い傾斜の路地に重なり合うように家が建てられている。迷いながら上へ上へ進んでいくと、崩した積み木のように家々が立ち並ぶ町とその先に広がる内陸の海。朝は静かだったビーチには余暇を過ごす国内の旅行者や地元の人々が寝そべり、緩やかな空気が静かに流れている。あまりにも気持ちよさそうで、僕らも水着に着替えて泳いだり横になったり、とゆったりした時間を過ごす。だいぶ気持ちがほぐれたが二泊目は必要ないと思い、翌日の便で次の目的地に向かう事を確認し、就寝。
 
 

 
翌日。朝をのんびり過ごしてから昼時にバスの予約をしに行くと、なんとトラブゾン行の空席が一席しかないとの事。しまった…のんびりし過ぎた。親切な住民の力を借りて他のバス会社を当たってみるが、どう乗り継いでも丸一日を無駄にしてしまう。仕方が無い。予定を変更し、夕方の便で首都アンカラを経由してカッパドキア地方の町、ギョレメへ向かうことにした。朝6時の到着だがなんとかなるだろう、と出発期間までまたのんびり。

 
夕方早めにバス停へ向かうと、あれ?宿泊先のおばさんが手を振っている。彼女がバッグから取り出したのは僕の携帯電話の充電器。アパートに忘れて来たのを返そうと、一日持ち歩いてくれていたのだった。たまたま予定を変更したから受け取れたものの、危ないところだった。結果座席がなくて良かったのかもしれないと思いながら、最後までアマスラの人々の親切さに支えられながらバスに乗り込み、座席に身体を沈めて休んでみる。