9.19.2011

ユーレイル・パス

朝のウエストバーンホフ駅。ここからドイツ・フランクフルトで高速鉄道を乗り継ぎ、オランダのアムステルダムまで約12時間。今回は北欧ぶりにユーレイル・パスを使用する。ユーレイル・パスとは、欧州の加盟国にて使用できる鉄道の共通回数券。使用日数、有効期限、国数などの条件によって割安で鉄道旅行を楽しめる、非欧州在住者向けのチケット。日本でも外国人旅行者向けに発行しているJRパスがあるが、それの22カ国共通版。寝台車や特定の車両は追加料金がかかる場合もあるが、今回のように長距離を丸一日かけて移動する際はとても有効。僕らが選択したペアチケットとは、必ず一組で行動する代わりに割引対象になる券で、2ヶ月の間に10日間使用できるもの。しかもペアチケットの場合は自動的にファーストクラス対象。


2日前、ウィーンに到着してすぐにチケットカウンターへ向かい、座席を確保しようと窓口で尋ねると予約は不要だという。そのような訳で当日も本当に電車に乗れるか、乗り換えも問題ないかなど、僕の頭では初のファーストクラスに対する期待といつもどおりの不安が入り混じっていた。車掌もいないのでとにかく乗りこみ、予約されていないと思われる座席の端に腰掛けてみる。電車が発車し、車掌に切符の確認をしてもらってようやく心配性の頭が落ち着き、持ち込んだパンをかじりながらあたりを見回す。なるほどこれがファーストクラスね。テーブル、パソコン用の電源、リクライニングシート。隣の車両は食堂で、飲み物なども持ってきてくれる。これで7時間なら快適だろう。明らかに周りの席の人たちとは服装もバッグも異なるが…
 
 


フランクフルトの乗り換えもスムーズ。ファーストクラスは全て予約済み(これがシステムのわからない部分。予約できないって言われたのに…)だったのでセカンドクラスに乗ったが、快適さはファーストクラスとさほど変わらない。同じ個室に乗り合わせたオランダ出身の紳士に、アムステルダムの秋の天候がひどい事を教えてもらい、20時半に目的地のアムステルダム・セントラル駅へ到着した。


雨降る夜の街に少々手こずったが22時に宿泊先へ到着し、23時に友人と再会。なんとか時間内に目的達成。

音楽の都といえば...

ブダペストからウィーンは高速鉄道で約3時間。これまでの移動の中で最も短いのではないだろうか。駅のロッカーへ荷物を押し込み、わかりやすい地下鉄で街の中心まで出てみる。雨。これまで天候に恵まれてきたので雨具はロッカー内のバックパックの奥の方。こういう日は室内へ逃げ込むのが無難、と美術館へ逃げ込む。



ウィーンではカウチサーフィンを通じて二泊とも地元の人の家に泊めてもらえる事になった。初日は一泊目の人と夕食を食べに行き、ミートボールを食べながらこの街でのオススメを相談。なるほど、美術、音楽、建築、いろいろと揃っている。余談だが、ウインナーってドイツかと思っていたら、「ウィーンの」って事だったのね、知らなかった。シュニッツェルもコーヒーもソーセージも。
 
 

 
 二日目は天候に恵まれ、8時間の散歩。いたるところにモーツァルトの名前と肖像画が使用されている。サエはシュニッツェルとザッハトルテにご満悦だが、少し疲れが見え始めている様子。この日は同年代カップルのアパートに泊めてもらい、彼らの友人らと共に家でパンプキンスープとパンケーキ風のカイザーシュマーンを食べながら話に華を咲かせる。「ウィーンが音楽の街なんて誰が言ったんだ?俺の友人で楽器をやってるやつなんか一人もいないよ」。
 
 
 
ナルホドね、ウィーンに対する我々の限られた知識がモーツァルト、サウンドオブミュージック、そして少年合唱団だから、そうなっちゃうのね。恐ろしや固定観念。
 
 

東欧諸国のビール



Kamenitza, lager, 4.4%, Plovdiv, Bulgaria

Lav, lager, 5.0%, Ceralevo, Serbia
Jalen Pivo, 5.0%, Apatin, Serbia


Soproni, 4.5%,  Budapest, Hungary
Dreher Classic, 5.2%, Budapest, Hungary




ブダ + ペスト




ブダペスト。宿泊先は可愛らしいゲストハウスで、スタッフも親切。何よりありがたいのは英語が通じる事。フロントで地図をもらって街へ出る。市内は、固定観念にあるヨーロッパの歴史を感じさせる街並みで、広いが歩きやすい。知らなかったのだが、ドナウ川を境にブダ側とペスト側にわかれている。初日はブダ側の城や教会を訪れ、二日目は自転車を借りてまず温泉。のんびり公園を巡ったりし、移動続きの数日で減ったエネルギーを充電。


 
 
 
一日半じゃ何もできないなぁ。


9.18.2011

予定、計画

イスタンブールから目指す次の目的地はオランダ。そこで僕の友人達と合流し、その後パリへ移動してサエの友人と会う。この旅に出てから三ヶ月半にして初めて他人と共有する予定。イスタンブールからアムステルダムまでの距離は直線でおよそ2200km。与えられた日数は9日間。これまで具体的なスケジュールを持たずに移動してきた僕らにとってはひとつのチャレンジである。予定よりも早く出発する事を決め、行程を組んでみる。セルビア経由か、ルーマニア経由か。チェコは?クロアチアは?ポーランドは?未知の東欧は興味深い。でも時間が足りない。最終的に決めたルートは、セルビアのベオグラード、ハンガリーのブダペスト、そしてオーストリアのウィーンにそれぞれ二泊ずつする事にした。イスタンブール~ベオグラードは20時間、ウィーン~アムステルダムは12時間かけて移動する事になる。
 


ソフィアの路面電車
最初の夜行列車は、今はなきオリエント急行の線路をたどるバルカン・エクスプレス。二等寝台車両の六人部屋。乗車すると既に三人が僕らの部屋で待ち構えていたが、出発してみると他の部屋がガラ空きだったので、親切な車掌の計らいで人組一部屋が与えられる。ブルガリアとの国境には午前3時に到着。下車して出国手続きを行い、その2時間後に今度は車内で入国手続きを済ませる。翌日の昼を回った頃電車が首都ソフィアで停車すると、車掌が全員降りるようアナウンスする。よくわからないが、どうやらベオグラード行の連結を逃した僕らの車両は 7時間もここで釘付けらしい。半日を市内で過ごし、再び同じ列車に乗ってベオグラードへ向かう。


七時間後にホームへ戻ると我々の車両だけ放置されていた


早くも脱線した予定を取り戻すべく、さほど大きくはないベオグラードの街も半日だけの滞在にした。残念な事にテニス界の女王たちには一人も会わなかったが、長年に渡り紛争を通じて合併と独立を繰り返してきた旧ユーゴスラビア圏最大の都市が想像以上に発展していることに驚いた。街の一部には破壊されたビルがそのまま残してあり生暖かい傷跡として保存されていたが、ドナウ川周辺の落ち着いた雰囲気からはそういった一面を見ることはなかった。




その晩も夜行列車。今度は更に安い八人部屋の座席で一泊。朝6時にブダペストへ到着し、駆け込みでゲストハウスを探し、まず昼寝。さて、間に合う事やら。

9.08.2011

トルコのビール

ようやくコクのあるビールにたどり着いたと感じた。エーゲ海側にあるエフェスで生産されているこのビールだが、ギリシャ人に言わせれば「まだ味が足りない」らしい。

Efes Pilsen, pilsner, 5.0%, Efes




  Efes Dark, 5.5%, Efes

アジアなのかヨーロッパなのか

トプカプ宮殿内のタイル模様
複雑な歴史の歩みの中で築かれてきたからだろう、トルコの文化はこういうものであるとは一概にいいがたい。人種をみるとトゥルク系民族は勿論、西はアーリア・アングロ系、東はクルド・ペルシャ系、北はロシア系やモンゴル・中央アジアの遊牧民族もいるだろう。文明は、古代ギリシャ、メソポタミア、ペルシャ、ローマなどが時代と共に寄せては文化や遺産を残してその波を引いてゆく。特に、アジアとヨーロッパの架け橋を担い、様々な帝国の首都として君臨してきたイスタンブールは、食、工芸、建造物、音楽、生活習慣において多くの文化が共存している。

ナンを使ったピザ、ピデ
伝統旋舞、セマー
歴史の波に揉まれてきた複数民族系地域を国家として統一したのはトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル氏。「トルコの父」を意味するアタトゥルクと呼ばれ敬愛される同氏は、1923年の建国と共に近代化を図る大改革を行い、ラテン文字の導入などを積極的に行った。この地で生活する様々な人種をトルコ人として唯一結びつけるのは、赤字に三日月と星を記した国旗のみではないだろうか。



人民の99%がイスラム教徒であるトルコ。約一ヶ月の断食月、ラマダンの最終日にイスタンブールへ戻った僕らが目にしたのは、おびただしい数の国旗だった。日が沈むと共に街中に人が溢れ、音楽やダンスのパフォーマンスが野外で披露される。気のせいだろうか、スカーフで頭部を覆う人々の表情も明るいように映る。翌日も、昼間から多くの家族連れが広場での食事を楽しんでいる。日出から日没までとはいえ飲食を制限される生活がどの様なものであるかは、宗教も節操も持たない僕には全く想像がつかない。


中国の蘭州からイスタンブールまでの長いシルクロードの道のり(中東は飛び越えてしまったが)を渡り、様々な文化や人と出合ってきた。元々は中国中央を南下し、チベット、インド、ネパールを巡る予定だった僕らの旅はルートから大きくそれてしまったが、それらはきっとそのうちに訪れるだろう。日本育ちの僕にとって、陸続きに繋がる国々の色が徐々に移り変わっていく様は不思議な光景だったが、つながっているのは国境の接面だけで無い事を知れたのはとても贅沢で貴重な体験だと感じた。

さて、次は欧州。予算を再確認しなくては。