1.29.2011

眠らない街を夢見て

最近よく聞かれる移住先のこと。環境。天気。そんな日常的なことが多い。知っているつもりで何となく答えてきたが、そのいい加減さが気になり、自分の再確認の為として調べてみた。


NYCの象徴:2010年6月  
ニューヨーク市とは、5つの行政区から構成されていて、その1つがマンハッタン区である。また、島の名前そのものでもあり、行政区の中で最も小さい面積を持つ。旅行代理店などでいうニューヨークとは、大体がこのマンハッタンを指している。

北緯40°46'に位置するマンハッタンは、青森市八甲田山とほぼ同位置。1月の平均気温は0.1℃で、東京に比べて4.5℃も差がある。8月の最高気温は28.6℃程度で平均は23.8℃。これも東京の同時期から3℃ほど低い。アメリカ本土では比較的湿度が高いとされているニューヨークだが、1ヶ月の平均降水量は90mmを下回る。同平均が154mmの東京と異なるのは、1年を通じて降水量がほぼ均等であること。(東京は4月~8月の平均が231mm)。日照は年を通じて234日。

ちなみに今日の天気は曇時々雪、最高1℃最低-5℃。

 

路上駐車が苦手な人は来るべからず

世界第6位のメガシティであるニューヨーク市。都市圏全体の人口は推計で1,943万人、市全体では830万人を超え、マンハッタン区だけで163万人である。この、87.46km²の小さな島を訪れる観光客は年間約4,700万人。去年は一度、一昨年は二度訪れているから、少しは貢献していることになるだろう。

特に聞かれることの多い治安についてだが、2005年以降、ニューヨークは全米25都市の中で最低の犯罪発生率を誇っている。 また、公共交通機関の発達や自動車利用率の低さから、最もエネルギー効率の高い米国都市と位置づけられている。経済、政府機関の中心でもあり、高水準の文化やスポーツ、一流の産業や教育機関が集中する、まさに眠らない街。

明日以降、「ニューヨークってどんなとこ?」と聞かれたら、「ブログみて」で片付けようと思っている。


(データは複数のサイトから調べて平均値を出したりしているので、正確なデータとしてでなく、あくまで参考としてみていただければ幸いです)

1.24.2011

90分のアメリカ訪問

今日は永住権の申請の為、米国大使館を訪問した。2人揃ってのスーツ姿は初めてだろうか。書類作成を依頼している弁護事務所を訪れ、内容の最終確認と今後の流れについて説明を受け、赤坂へ向かう。既にトイレを3軒もハシゴ。14:15に大使館へ到着し、日本の空港以上に厳しい所持品検査を受けた上で入館。本日の目的は書類の提出と簡単な質問等と聞いていたが、「番号で呼ぶのでその辺の椅子で書類の準備でもしていてください」と言われても当然ながら落ち着かず。言われたとおりに書類を整理しているとすぐに「047」と呼ばれ、慌ててブースへ。

今回の申請とは、アメリカ国籍を持つサエと結婚した事で得られる、いわゆるグリーンカードの申請。ただし、これはよく間違われるのだが、結婚することで取得するのは永住権ではなく、永住権を申請できる権利のみ。実際に取得するためには、それに値することを証明しなくてはならない(これはまた別の機会に)。グリーンカードと言えば、思い浮かぶのが1990年に製作された同タイトルの映画。偽装結婚を装ったブロンティとジョージが、別々の部屋に連れて行かれ面接官から厳しい尋問を受けるシーンが気になり、数ヶ月前に2人で借りて観たのだが...

書類を提出するのは、カウンターのアクリルガラス越しに大使館事務員とやり取りをする、銀行窓口のようなところ。書類をガラスの下から差し込み、簡単な質問を受けた上でもう一度呼ぶから待つように言われ、再度着席。番号を呼ばれた際に飛び出た心臓を拾って口へ放り込み、ようやく感覚が戻ったところで待合室を見わたすと、我々以外もカップルで来ている申請者ばかり。みていると事務員の前で書類を捜したり、同じことを何度も説明したりと、どうやら我々は用意周到な部類に入ることを確認して少し安心。

この申請をすることについて、米国で弁護士と相談を始めたのは2009年6月。それから1年後に日本の弁護士と契約を交わし、数ヶ月かけて40ページを超える書類の作成と準備を続けてきた。それでも、提出して軽くなったのは鞄だけで、心は相変わらず鉄分過多。

よい面接官にあたるよう祈りながら待つこと45年。先ほどの3つ隣のブースに呼ばれ、ガラス越しに迎えてくれた中年男性の優しそうな表情に2人でほっとするが、本日は米国籍者への面接のみと言われ、サエの顔が強張る。最初の質問だっただろうか、「いつ結婚しましたか」に対してサエがそつなく返答すると、「書類の記載と違うよ」と指摘...見たら2ヶ月前に結婚したことになっている。その場で修正できたので問題はなかったが、よりによって入籍年を間違えるとは。それでも、サエは何の動揺も見せずに全面クリア。"Congratulations"といわれ、最終面接についての説明を受け、本日は終了。

15:45に退館し、赤坂のサラリーマン君達よりお先にパイント・グラスで乾杯。今日はタバコを吸ってもいい日だな、と思いながらスパイシーポテトを注文。サエ、おつかれさま。

1.20.2011

お世話になります

旅の最中、サエの次くらいに親密なパートナーになるであろうヤツを紹介しておこうかな。




頼りがいのある、Deuter Aircontact 50+10 SL 
2000年に購入。

特徴は、細いラインと上部に 増やす事の出来るコンパートメント。ストラップで調整してコンパクトにもなるので、不必要に背中でかさばる事も無い。と、えらそうにいっても、これが唯一のトレッキング・パックなので、なにと比較が出来るわけでもないのだが...

1898年の創業当初、郵便局等の業務用袋をつくっていたらしいドイター社は、ドイツ南部のバイエルン州、アウグスブルグ生まれ。あまりなじみの無い地名だが、ドイツの中で3番目に緑地・森林面積を有する都市だそう。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父、レオポルト・モーツァルト(1719 - 1787年)の出身地もここだとか。

今回の旅でドイツに行く予定は無いが、郵便局といえば、シュヴァルの理想宮(Palais idéal du facteur Cheval)は是非とも行きたいと思っている。郵便配達夫であるフェルディナン・シュヴァルが配達ルートで拾った石を、1879年から33年もの間、ひたすら積み上げてできた宮殿が、フランス南部の片田舎、オートリーブにあるらしい。


「コツコツと」はいい響きだと思う。

この場所を知ったのも全くの偶然。2年前の夏、閉館する事を聞いてサエと二人で慌てて訪れた那須のニキ美術館(Niki de Saint Phalle, 1930 - 2002)において、1枚の解説パネルで見た情報を元に調べてみたら、「いずれ訪れてみたい所」リストに即ランクインした場所。

 旅の途中も、この投稿のように脱線しながら進んでいくのだろうか。たのしみ。

1.16.2011

日本カラ地球ヲアルイテAmericaへ

はじめに
すこしマジメに

これまで2人で創ってきたものがある。少しづつ育て、足したり間引いたりしてきた環境。思考。コンフォート。それらを棄てるのではなく、解体する。そして、また一から組み立てる。それが2011年における2人のプロジェクトのテーマ。だと思っている。


無垢で無知だから夢中になって、根拠の無い自信を片手に単身でアメリカに渡った10代。その10年後、離れた祖国への関心と大陸に居続けたい2つの想いが重なりながら、何かを探しに帰国した20代。期待と不安とが入り交じりながら新地への準備を進めるのは、その頃も12年経った今も同じだと思う。違うのはその比率。当時と比べると、すこし考え過ぎるようになったのだろうか。こんな事を書いていること自体が既に大きな違い。でも、いつでも新たな挑戦に飛び込める勇気がある事を、今だからこそ確認しておきたい。そして記録に残しておきたい。


このプロジェクトとは、1年かけて我々の生活場所をアメリカへシフトする事、そして、その前に2人で地球を旅する事である。