5.26.2011

いよいよ始まり。アイスランド初日

記念すべき旅の初移動は、オーバーナイト・フライト。宿泊費の節約を兼ねて、移動はこれからも夜に行う事がきっと多くなる。ニューヨークから5時間、時差は+4時間。ケフラヴィーク国際空港着は翌朝7:00なので丸一日あるが、東向きに進行する限り、きっと激しい時差ボケは避けられないだろうと覚悟。


空港からバスで45分、首都レイキャヴィックに到着。第一印象は、空港も街も静か、そしてきれい。サエの友人、オスカーが迎えにきてくれ、10分程離れた彼の自宅へ。コロンビア人の彼とアイスランド人の奥さん、そして2歳の男の子の3人家族が我々のホスト・ファミリー。自宅のテラスで優雅に朝食を食べながらアイスランドについてを教えてもらう。今年は例年よりも春が遅いらしく気温は5℃前後だが、既に高くに昇った太陽からの日差しはとても暖かく、風さえなければ心地良い。ただ、アイスランドはとにかくいつでも強風が吹いているそうなので空気は冷たく、この時期でもダウン・ジャケットは必要。持ってきて正解。


数時間休んで、 午後から街の中心で行われているフェスティバルへ。多くの人が広場に集結していたが、人口30万人の国でしかも多くが首都近辺で生活しているので、オスカーたちは通り過ぎる多くの人と声を交わし、その度に紹介される。さっき空港で見かけた人達もいる。屋外パフォーマンスをみた後は町を散歩。教会以外に高い建物はほとんどなく、こじんまりしていて馴染みやすい。そうそう、大統領専用車を2回も見かけた。



 夕食はハンバーガー。スパイスの味付けが独特で、 軽めのアイスランド・ビールとの相性は絶妙。のんびり食べて、23:00頃にサエと近所を散歩。既に百夜に近く、この時間でようやく夕焼けなのは時差ボケをもおかしくしてしまうようだ。

色素と色彩の関係

ポスターガールは例外だった...
金曜夕方の渋滞を抜け、ニューアーク空港に到着。めったに来ない空港だからか、どこへ行けばいいかわからず、ウロウロしているとようやく見つけた。マイナーなアイスランド・エクスプレス航空は別のフロアの隅のほうに追いやられており、そこには、白人の中でも更に色白の人種が小さなカウンター付近を取り巻いていた。肌の淡い彼ら、圧倒的にホワイト・ブロンドが多く、まるでエンピツデッサンの上に水で伸ばした絵具を薄く引いた水彩画のようにみえてくる。

色彩のセンスが絶妙といわれる北欧。とにかく色の組み合わせとバランスがいいと思うのだが、もしそれが自分たちの色素の薄さがコンプレックスとなって、長年かけてそうなっていったのであればオモシロイ。それとも、寒くて室内にこもっているから色白になり、室内で過ごす長い冬の時間を有効に使ってセンスが磨かれたと考えるのが妥当だろうか。そういえばどこで読んだか忘れたが、アイスランドは読書がとても盛んな国だそうで、本を出版する人の割合が世界で最も多いとか。どちらでもいいが、到着してから聞いて見る事にしようと思う。
我々が乗ったアイアンメイデン号。ヘビメタは北欧の恋歌。

アメリカのビール


Brooklyn Lager, 5.2%, New York
Dead Poet Epic IPA, 7.5%, New York
Porkslap Farmhouse Ale, N/A, New York
Three Philosophers, 9.8%, New York








 



アメリカ滞在記


さて、ネットワークと時間が合わずなかなか投稿できていないが、とりあえずアメリカに到着してから出発までの9日間をざっと記してみようと思う。

11日(水):
フライトは、定刻どおり出発と同日の15分前にジョン・F・ケネディ空港へ到着。初めてサエと一緒にアメリカ市民及び永住者の列へ並ぶ。緊張するのは毎回の事だが、トラウマになっているのだろうか、それとも後ろめたい事があるからなのだろうか。とにかく指紋を取られ、いつもの別室で書類を確認され、入国審査は完了。実感はわかないが晴れて永住者。らしい。

 

12日(木)~14日(金):
口座開設やケータイ電話の契約など、
これからの生活に向けた準備をしつつ、昼寝をしつつ、友だちに会ったり、それぞれの時間も過ごす。帰省すると毎回そうなのだが、サエは甘えが出るのか調子を崩してダウン。




15日(日)~16日(月):
帰省しているサエの兄とともに、車でワシントンDCへ。ボクは小学生の時に家族ときて以来なので、23年ぶりのキャピタル訪問。航空博物館やナショナルギャラリー、スミソニアン自然博物館など、その規模とスケールに改めて圧倒される。しかも入場料はどこも無料。夜はワシントン・モニュメントからリンカーン・メモリアル、ホワイトハウスまでの4km弱を散歩。翌日は夕方まで市内見物し、サエと2人でアムトラックに乗ってニューヨークへ。






 





18日(水):
ボストンから友人が来たので、一日中市内を歩き回る。ヤツとはどの街であってもそうやって歩きながら話をする。会うのは結婚式ぶりなので、1.5年分を100ブロックかけて話した。土砂降りのセントラルパークは予定外だったが、夜は更に数人が合流して、飲み明かした。

諸々の手続や旅の準備、 結局慌ただしく過ぎてしまった。それでも、日本を出る時よりはだいぶリラックスできていたのだと思う。といいつつ、すべての支度が完了したのは出発の1時間前だった・・・

5.14.2011

日本品質と和製アメリカの品質

今回のフライト、旅行代理店の大手、H社で予約したのだが、片道切符というのは思ったよりも手配が難しかった。成田-ニューヨーク間で片道券を発行している航空会社が1社しかなく、往復券よりも高い。往復券を購入して復路分を放棄することができるのも1社のみで、なかにはペナルティがかかってしまうものもある担当者がさまざまな条件を調べてくれ、我々の希望に沿ったものをいくつか提案してくれた中から、結局は価格最優先で米A社に決めたが、これが失敗だった。

フライト当日の朝、普段はそんなことをしないのだがなんとなく発着情報をネットでみると、あれ?17時頃発の我々フライトの右側に「欠航」と記されている。A社へ電話してみると、「そーなんですよ~、どうされます?」と他人事な対応にイラッとするが、仕方がない。同日の選択肢はシカゴ経由しかないとの事だったので、J社との翌朝のコードシェア便を選択。宿泊費などの補助について聞いても、「基本的にはない」とこちらの身になって何を考えてくれることもなく、1日あたり4000本以上ものフライトを運行している、世界第2位を誇る大手航空会社(旅客運送数および旅客キロ数)の対応とは到底思えない。たまたま電話で対応してもらった2名がハズレだったのかもしれないが、自分に非があっても「謝らない」外資企業で働く人は以前にも会ったことがある。きっと、ビジネス上の心得として外国では謝らないのが当たり前、と間違った解釈をしまっているのだろうと自身に言い聞かせて、この件は終了。

荷物の多さと座席未定の不安もあり、11時のフライトに併せて7時前に出発。空港で預ける荷物はバックパック2個、スーツケース3個で合計100kg強。更に手持ち荷物も3個あり、このうち1つが16kg程度。相当な超過料金も覚悟していったが、さすがJ社、どうすれば余計な料金を払わずに済むかをすぐに調べにいってくれ、最低ラインで留めてくれた。そんな、至れり尽くせりのサービスも今日で最後だと思いつつ、具がこぼれないよう包装紙に包まれたホットドッグを食べながら、フライトの出発を待った。

あと2.5時間。

5.07.2011

壊すばかりではないんです

退職、永住権の取得、予防接種、諸々の解約、旅の準備など、とにかく忙しかった4月の締めくくりは住まいの明け渡し。5年住んできた住居から荷物を出して車に詰め込み、はれてホームレスとなった。ニュースで、「無職、住所不定、自称」の三拍子が揃わないよう、自分にニックネームをつけるのだけはやめておこうと思いながら、長い間お世話になった家とのお別れ。

出発までひとまず静岡へ。常に雑音に溢れている都会を離れ、少し落ち着けるかなと思っていたが、いざ到着してみるとこちらに置いてゆくものの片付けが山積していることに呆然。それでも気を取り直し、ひとつずつ箱を開いて閉まっていく。実は、1ヶ月ほど横浜の家で解体ばかりしてきた自分へのご褒美として、ここでできるプロジェクトを準備しておいた。それは久々の家具作り。ということで今日は簡単にその手順を紹介しようとおもう。


 製作するのはベッド・フレーム。材質は表面をタモの集成材で作り、他はあり合わせの廃材を使用。下に収納ケースを入れられるようマットレスの高さは通常より高めの50cm、また、読書時に寄りかかれるようヘッドボードも高めに設定。内枠はダボのみで固定し、ベルト・クランプで締める。強度が必要な外枠との固定は更に8cmのビス穴を設けて固定。ヘッドボードにできた3ヵ所の空白には化粧の枠材を回し、接着。先ほど開けたビスの鼠穴は手製のキャップでふさぎ、全体に鉋と紙やすりをかけ、サイドフレームの臍を準備。薄く溶いたニスを全体に染み込ませ、初日は終了。

 
翌日は家の片付けを進め、製作は午後から開始。足りなかった部材を買いにいったが、残念ながら9mmの化粧ベニヤがなかっ たので4mmシナ合板で代用。強度よりも重量感が半減してしまうのではと心配だが、カッターで加工できるので、作業は早い。サイズにカットして枠にはめて いき、接着後に裏から固定。全体の重量を支えるサイドフレームは、タモ集成材20mmに、ベニヤ受けとなる廃材の無垢マホガニー材15mmを接合し、 15cm間隔でビス止め。夕方に雨が降ってきたので、床板用のベニヤと補強材をカットし、2回目の塗装を行って終了。



父から(勝手に)譲り受けた電動ドリル。逆回転しないのも愛嬌

3日目。朝から組み立てを行い、全ての臍が合うことを再確認。バラして部屋へ運び、枠とヘッド・フットボードを接合する。 接合してから分かったのだが、ヘッドボードに使用した15mmのタモ枠は思ったよりも柔軟性があり、臍だけでは揺れがとれないので外側からビスでも固定 し、キャップで目隠し。サイドフレームの枠ににかかるよう、補強を施した床板を敷き詰めて、昼前に完成。高さ50cmは思ったよりも座りやすかったが、 フットボードも同じ高さにしたのは失敗だった。


なんにせよ、よい息抜きになったが、これでしばらく家具を作ることもないだろう。工具の手入れを簡単に行い、箱につめて押入れの奥に閉まった。