10.25.2011

使えないフランス単語帳

初めてパリに来たのは1997年の春だから、もう14年以上も前、僕がアメリカで学生生活を送っていた頃の事。高校時代にフランス語を3年間勉強したにも関わらず、当時の僕は現地の言語で話す努力をしようとはせず、ある夜もバーに入ると米国仕込みの騒々しい英語でビールを注文した。店の人は、なんと横柄なガキなのだろうと思ったに違いない。その後、灰皿がほしい旨を英語とジェスチャーで訴えるが、バーテンダーに首をすくめられるばかりで伝わらない。当時は気づかなかったが、客観的にみればあたりまえだ。最初からこちらが歩み寄らなかった分、向こうにも努力する気はない。それどころか相手はニコニコしているようにも見える。単にわからないふりをしていただけなのかもしれない。

歯ぎしりをしたくなるような、噛み合わないやりとりがしばらく続いた事、僕がポケットからタバコを取り出した。すると相手は、"ahh, le cendrier!" と、大げさにジェスチャーをすると、すぐ近くにあった灰皿を放ってよこした。ソンドリェル。この単語、タバコを辞めた?今でも忘れはしない。この単語のおかげで当時の嫌な自分の事も思い出し、そうならないように自分へ言い聞かせる事ができる。そんな小さな出来事がキッカケで、意外な単語を習得してしまうものだ。


あれから14年。今回学んだ意外な単語は、Trouvé だ。


電車の中に忘れてきた小さなノートブックは、旅先で使った額、 出会った人々の連絡先、そして訪れた場所や思ったことなどを書き記してある大事な情報集。幸い、この旅の最中になくしたものはほとんどないが、このノートブックを乗換時に置いてきてしまったのはトルコでも経験しており、僕は相当へこんだ。二度めだ。もう出てこないかもしれない。がっかりしながらパリ在住の知人にその事を話すと、「拾得物預かり所(仏:perdu trouvé, 英:lost and found)があるのでそこへ相談するといい」と提案してくれた。「ただ、私も携帯電話などをなくしたことがあって何度か行ったけど、モノが帰ってきたためしはないけどね」と付け加えられた一言に、一瞬抱いた期待は打ち消されてしまった。

それでも探さないわけにはいかない。まず電話をしてみると、「拾得物の登録に時間がかかるため、落としてから7日間以降に同所へ来てください」との事。7日後。場所を調べて直接出向いた。警察署の管轄である拾得物預かり所は、空港のように金属探知機を通過して中へ入る。そして窓口へ。しかし、担当者へは英語が全く通じず、落としたものが何であるかすら説明できない。運よく落し物を探しにきた紳士が手を差し伸べてくれ、書類を受け取り、書き込んで提出する。審査には15分ほど。再びカウンターへ行くと、パソコンで状況を確認していた担当者が、「この紙を持って駅のインフォメーションで聞いてきなさい」と言う。

状況がよく把握できないままメトロの駅へ向かい、恐る恐る紙を差し出してみると相手は勝手がわかった様子でパソコンに向かい、何かを調べてくれている。僕の後ろに行列ができ始め、肩身が狭い思いがし始めた数分後、

「あなたのなくしたノートは茶色?」 「はい」
「黒いペンがついている?」 「(あ!)ついています」
「中にはアジア文字が書いてある?」 「(まぁなんでもいいや)そのとおりです!」

「見つかったかもしれないわ。今日は遅いから、明日の午後にもう一度さっきの預かり所へこれをもっていって」


そして、翌日の午後に再訪。笑顔と無言で紙をカウンター越しに提出し、手数料の10ユーロを支払ってソワソワしながら待つこと20分。

でてきた。

10.24.2011

フランス人が冷たいなんて誰がいったの?

人とのコミュニケーションを図るにあたって、この旅の間に学んだ事がいくつかある。一つ目は謙虚である事。二つ目は忍耐強くある事。そして三つ目は相手に歩み寄る事である。あくまでも彼らの国のゲストである僕たちは、自分の主観や常識でモノゴトを図る事はできない。列に並んでいて抜かされても、店員に面倒臭がられても、辛抱強く待たなくてはならない。これは自身の言い分を主張をしないという事ではなく、相手を尊重している姿勢を保つという事だと思う。

先日、パリでデパートに行った時の事。商品を持って、レジカウンターへ向かって伸びる2つの列のうちのひとつに並んだ。僕の前の人が会計を終えると、そのすぐ脇に立っていた男性がすかさず店員に商品を差し出した。店員はその人を制止し手振りで僕を呼んだが、僕が並ぶ前からいたと思われる彼に身振りで順番を譲った。するとこの男性、カウンターに積み上げた数十点の商品をひとつずつチェックし、「これはセール棚にあった」や「高いからやっぱりいらない」というようなやりとりを店員としている。その度に店員はレジから抜けて棚を確認しにいったり、いらなくなった商品をハジに除け、たたんだりしている。店員の効率は決していい方ではない。

長い。隣の列に移ろうかと迷ったが、待ってみた。男性は一度外した商品を復活させたり、なんらかの方法で予算内に収めようと努力している。うーん。僕の後ろに並んだ人たちは、牛歩の列からさっさと隣へ移っている。しかしここまで来ると自身の忍耐強さとの勝負である。特に誰が悪いわけでもの無いこの状況で、イライラする方がおかしい。そのマイペース同士のやりとりをみながら、夕飯の献立について考えていたその時、隣のレジから僕に向かって笑顔と併せて手が差し伸べられた。僕がずっと待っていた事にもう1人の店員が気づき、先に会計してくれるというのだ。

このような、人の優しさや心遣いがあふれる行為を目の当たりにすると、待っていてよかったと思う。旅行先では、言語の壁が理由で一言も言い返せずに待つしかできないというのも事実だ。でも、こんな小さな行為が、店を出る際の自身の気分を大きく変えてくれる。この考え方を、これから築いてゆく生活場所でも継続していければいいと思うわけである。

10.10.2011

一筆書きの思い出


「旅で汚れた服しか持っていなくても、特別な場所でお祝いしたいね」


ちょっと風変わりな結婚生活が始まって2年。そんなビエンナーレを祝うため、カジュアルな格好でも入れそうなレストランをパリで探していたサエと僕。しかし、土地勘も仏版ホットペッパーを読む語学力もないので、当然のごとく情報収集が難航。ちょっと視点を変え、日帰りでシャンパーニュ地方のエペルネへ行く事にした。ご存知の方も、また、お察しの方もいると思うが、フランス北東部に位置するシャンパーニュとは、その名のとおり地域名産の発泡ワインで有名な土地である。パリ市内から高速列車に乗って一時間強でたどり着けるこの地域、のどかな葡萄畑の風景やレンガ造りのワイン蔵を見たいと思っていた僕らには丁度いい距離。




昨年はどこでどのようなお祝いをしたか思い出せないが、きっと大した事をしなかったから忘れてしまったのだと思う。旅の真っ只中にシャンパンの聖地へ行き、葡萄畑の中心で我を忘れる。オペラ座の怪人が夏の間だけ住んできた蔵を探検し、その後香り高い食前酒で乾杯する。一緒に食べる郷土料理も秋の味覚。きっと美味しいのだろう。

我ながら、なんと素晴らしい脚本。

今年はきっと、記憶に残る素晴らしい時を過ごす事ができるに違いないと思いながら、行き方をインターネットで確認する。希望の時間帯にこの区間を走っているのは、なんとTGV。幼少の頃から名前だけは知っていたオレンジ色の超特急。時速574.8kmの最高記録を誇る世界最速の非浮上式電車に乗るとあれば、自然と気持ちが子供のように舞い上がってしまう。やはり記憶に残る思い出は、最高の演出で飾らなければいけない。


 
当日の朝、定刻1時間前にパリ東駅(Gare d'Est)へ到着。フランス東部を始め、ドイツやルクセンブルグなど隣国向けの列車が発着するこの駅は、早朝から多くの通勤客や観光客で溢れている。営業を開始したばかりのチケットカウンターへ行き、念の為ユーレイル・パス(詳しくはこちらを参照)を使用できるかを確認し、出発までの時間をベンチに前かがみに座って待つ。定刻15分前、電光掲示板にようやく乗車場所が表示され、どの車両に乗ってよいのかをプラットホームで駅員に聞いてみる。パドゥン、マドモァゼュ…

え?予約無しでは乗車できない?

先ほどの窓口へもう一度引き返し経緯を説明すると、仏語訛りの英語でこう言われる。「もちろん、予約無しでTGVは乗れないわよ。私が乗れると言ったのはそれ以外の列車よ。」




知らなかった。TGV、タリス、ユーロスターなど全席指定の高速列車は、ユーレイル・パスを持っていても事前予約が必要なのである。予約するには手数料が発生するので、パスの購入費以外の追加金額を払いたくない人は、乗る事のできる列車が限られてしまう。もう一度書こう。風のように速く、玉座のような座り心地を提供する超特急に乗るためには、チケットの購入以外に料金を支払わないと乗車できない。ここが、お得なユーレイル・パスの落とし穴なのだ。

手数料は払いたくない...

それ以前に、もうTGVには間に合わない。そこで、エペルネへはどのように行けばいいかを窓口で相談すると、近くの町まで行く電車が2時間後に発車するからそれまで待てと言われてしまう。特別な一日に待ち時間は不要だ。ここで待つくらいなら、今すぐ東方面へ向かう列車に飛び乗ったほうが、冒険心をくすぐる素敵な演出ではないか。そこで、適当な列車を見つけると開いたドアから2等車両の2階に乗り込む。5分後、列車は何も言わずに発車した。




田園風景が広がるローカルな土地。そこを定規で線を引くようにのんびりと走る、二両編成の電車に揺られて40分。見知らぬ終点駅、モゥ(Meaux)に到着した。どのくらい近づいたんだろう...果たしてここからエペルネ行の電車があるのだろうかと心配になるほど小さな駅。地図で見ると1/3も来ていない...

冒険心が掻き立てられるなぁ。

ホームに立っていた駅員にエペルネへはどう行けばいいかを尋ねると、「&@€#% #* オントラボゥ」と言われながらバスの停留所へ案内される。ナルホド、列車にトラブルがあったからバスの振替輸送が行われているのか。あえて trouble だけ英語で言ってくれたのか?

実は、解釈は間違っていなかったが、En travaux は工事中を意味するフランス語。いずれにせよ、目的地行の路線が存在する事がわかり一安心。ホッとしたところで運行の詳細を聞いてみると、目的地まで一時間半かかるのだが、次のバスが出るのはなんと2時間後...あれ?

仕方がない。こうなったら落ちついた雰囲気のカフェでも見つけて優雅な時間に浸ろう、と気を取り直して町の散策を開始。でも、観光地でもないこの小さな町で平日の朝から開いている店などあるわけが無い。1時間ほど閑散とした路地を歩いてからバス停に戻り、行き来する路線バスを眺めながら時間をやり過ごす。





僕らの他に数名を乗せた大型バスは、丘に連なる葡萄棚をとおり過ぎ、小さな町を抜け、やがてエペルネへ到着した。お昼の時間を大幅に過ぎてしまったが、そんな事は問題ではない。ここからいかにドラマチックな展開にできるか、それが重要なのだ。由緒のある城や有名な蔵を巡り、その場の雰囲気とともにシャンパンを飲み、目を閉じて贅沢なひと時を味わう。

そんなありきたりな事を、サエが望むはずは無い。

行き当たりばったりで蔵に入ったら閉館していたり、シャンパンを2杯飲んだら飽きてしまい結局夕食はビールで乾杯したり、帰りの電車が心配で駅の付近で数時間もたむろしたり。きっと、そんな枠から外れた一日を望んでいるに違いない。そうだ。最初から予定が無ければ失敗なんて存在しないんだ。融通と機転さえ利けば、計画なんてものは不要だ。


僕の描く「記憶に残る一日」とは、事が一筆書きで運ぶなどということは、まずありえないのだ。