4.25.2011

ちっちゃなお別れ


我々の唯一のペット、ダイは都内の小学校に引き取ってもらうことになった。6年前に買ったときは4cm程だった(らしい)この金魚、いまでは24cmにまで成長していて、大きさだけならきっと池の主になれるだろう。ただ、そんな彼女を60cmの水槽で飼っていたのだから、泳ぎはへたくそ。口をパクパクさせると餌がふってくるので、狩りもだめ。友達もいない。大分過保護に育ててしまった自分達にいまさら反省。

本当に入学させて大丈夫だろうか。他の子にいじめられたりしないだろうか。一人でトイレに行けるだろうか。雨が降ったら...と心配は尽きない。

校舎と校舎の間にある中庭、そんなところにある池。中には金魚や鯉が泳いでおり、ダイはけっして大きいほうではないことを知り、心配は更にふくらむ。

ビニル袋から背中を押されるように、ゆっくりと静かに池に入っていったダイ。暗い池の中でもその金色はよく目立つ。そのまま沈んでいって動かないと思ったら、次の瞬間、ちいさな金魚数匹に追いかけられて逃げまわっていた...

これまで我々の生活を彩ってくれてありがとね。

後日談だが、毎日のように見にいってくださっている小学校の職員によると、ダイは池の端にへばりつくようにしていることが多いらしい。どうやら広い世界に慣れるにはまだまだ時間がかかるようだ。





解体 其の弐

今日は家具を解体。長年使ってきた勉強机、棚、チェスト、ベッド、すべて50cm以内にカット。始めるとあっという間にあたりは粉塵だらけ。ただでさえ花粉症で苦しんでいるサエは、ドアを閉めてさっさと退避。

大きな家具がなくなると、ようやく片付いてきたような気になる。進むにつれてライフスタイルがどんどん簡素化し、いよいよ寝袋での生活がスタート。

 






こうやってまとめてみると、たいしたことはないんだけどね。ちゃんと収集してもらえるか、毎回心配。

いつもありがとうございます。






4.21.2011

解体 其の壱

引き続き片づけ中。残すものよりも捨てるものの処理が大変。












HPが新しくなりました。ぜひご訪問ください。

右側にある現在地チェックからもいけますよ。

4.18.2011

終わりなき挑戦

長い間 岸を見失う勇気が無ければ、新しい大陸を発見することはできない
Man cannot discover a new land unless one has the courage to lose sight of the shore.”
-アンドレ・ジッド
André Paul Guillaume Gide


ゲーテ勲章やノーベル文学賞の受賞者であるフランスの小説家、アンドレ・ジッド(André Paul Guillaume Gide, 1869-1951)が残したこの名言は、ボク自身の退職を報告した際に北京へ赴任中の元上司からいただいた言葉。これからの挑戦にあてはまるすばらしい言葉なので、とても気に入っているのだが、他の国で類似の言い回しがないか調べてみた。


 
卵を割らなくてはオムレツは作れない
You can't make an omelet without breaking eggs
-アメリカのことわざ
American proverb

誰が最初に言い出したのだろう。この分かりやすさ、とてもアメリカらしいことわざだと思う。新たなものを作る為になにかを壊す必要があるというのも、自称「世界の警察」らしい発想。



ペナルティキックを外すことができるのは、蹴る勇気を持った者だけだ
Only those who have the courage to take a penalty miss them
-ロベルト・バッジオ
Roberto Baggio
思い出さない方の為に画像を借りてきました
欧州年間最優秀選手やFIFA最優秀選手などの輝かしい実績を持つイタリア出身のサッカー選手。引退後は、貧困や飢餓撲滅のための慈善活動に取り組む同氏は、2010年にノーベル平和賞受賞者世界サミットの「平和サミット賞」を受賞している。1994年ワールドカップ、アメリカ大会、決勝戦で最後に見せた姿を思い出すファンもきっと多いだろう。





救急箱

旅に持参する薬。とても重要なのだが、何をどの程度を持参すべきなのだろうか。風邪を引いたり、頭痛がしたり、汚染した飲食物を口にして下したり、蚊やダニに刺されて熱が出たり。靴擦れも、切り傷もあるだろう。色々な旅人のサイトを参考にしながら準備しようと思っていたが、普段から薬を飲まない我々にとってその選択肢は果てしなく多く、カタカナ名が頭に入ってこない。

摂取中のワクチン、本文とは無関係
そこに現れたのは救世主。世界各国の前線で被災者の救助にあたってきた国際緊急援助隊の第一号医師である、ドクター・Kが必要と思われる薬を見繕ってくださった 。ご縁でサエが知り合いの同氏は、20代にヒンズークシュ無名峰の初登頂を2回も達成しており、その後、ドクターとしてエベレスト登山隊に参加している。情と胸板が厚く、体験談と髭の濃い整形外科医、見た目も経歴も山男である。

ピックアップしてもらった薬は、HPにアップしているとおりだが、先日お会いする前に彼が執筆された本を読んだ。「感謝されない医者」。内容は、凍傷について800+件もの治療体験を基に書かれたこの本は、タイトルや題材とは裏腹に、人間のもつ温かみが随所に感じられる本で、とても面白い。人体部分の切断について、また、細かく描写されている野戦病院の風景などに堪えられる方は、是非とも読んでいただければと思う。

4.16.2011

永住への道③: Which Way To America

弁護士への最初の相談から約22ヶ月、ようやくアメリカ合衆国における永住権の申請が全て終了した。終了時に面接官から、「あなたのビザ申請は、面接が終了し許可されました」との書面をもらったのだが、パスポートが手元に帰ってくるまでは心配が続くものと思われる。とにかく一段落。これまでの経緯とこれからについてを、以下に数字でまとめてみた。

2    弁護士事務所を訪れた数
55   弁護士と交わしたメールの回数
44   作成した書類のページ数
42   弁護士へ依頼した書類の訂正箇所の数
3    それでも面接官から指摘された間違いの数

2    米国大使館出頭の回数
823  永住権の申請料 (ドル建て、2回分、弁護士費用含まず)
7、8  第1次面接時にサエが受けた質問の数
7、8  第2次面接時にヨシが受けた質問の数
7    面接終了からパスポートが手元に戻るまでの日数

2    条件付永住者と位置づけられる年数
45   JFKでこれまで入国審査にかかった分数 (別室含む)
15   これからかかると思われる入国審査の分数 (別室は無)


これでようやく次のステップへ。3つ目のステップとは、条件付永住者として定められた期限内にアメリカへ渡ること。具体的には、2つの面接の間に受信した健康診断から6ヶ月以内とされているので、旅に出発する前に移住先であるNYへ行こうと思っている。チケットの値段から考えると、連休明け頃だろうか...

ということはあと3週間、しかもヨコハマにいるのは2週間程度。家、片付くだろうか。会いたい人たちみんなに会えるだろうか。離職届も、転出手続も、訪れる国々のビザ申請も、予防接種も、海外引越の業者選定も、まだまだやらなくてはならない事だらけだ...

4.11.2011

サラリーマン終了

久しぶりの投稿になってしまった...2日遅れなのだが、現職の最後の日であった4月8日に書いた文を投稿しようとおもう。

前の晩から聞こえるやや強めの南風の物音で6時過ぎに目覚た。例年よりすこし遅い桜は満開に近いようだが、この風ではあっという間に散ってしまうのだろう、とゴミをだしながら向かいにある公園の桜吹雪に目を向けた。駅へ向かう途中、イヤフォンから聞こえるJoe Satrianiの「Dream Song」と同じ速度で、馴染みの通勤風景が目の前をもいつもと同じように流れていた。

毎日、この日に向けて準備をしてきたつもりなのだが、今日で終わり、という実感はなかなか沸かない。

18時を回るころ、水鳥は 足元を濁さないよう身辺を整理し、お世話になった方々へ挨拶をし、同僚や上司に別れを告げ、そして静かに飛び立った。そんな風景を想像しながら会社をでた。MPプレイヤーからThe RH Factorの「Forget Regret」が流れるなか、夕日に照らされる会社の看板を見るのもこれで最後と思い、「ありがとう」と頭の中でtweetしてみた。

Tweetして、水鳥は自分がまだ雛であることに気づいた。