3.14.2011

東日本大地震

2011311日金曜1446。東京都大田区平和島。そのときボクは事務所でパソコンに向かっていた。在籍期間が1ヶ月をきった僕の立場は、例年の忙しい年度末とは微妙に異なり、むしろ整理や片付けをしながら見積なんかを作成する、そんな余裕のある時間を過ごしている。グラ。「ん?」。グラッ、ググ。「お。」顔を上げ、近くでゆれているものを探すと、ブラインドの紐がかすかに動いている。次第に大きくなり...

東日本大地震。これが正式名称なのだろうか。マグニチュード8.8。二日後に訂正されM9.0。死者・行方不明者は現時点で4,300人以上。東京電力福島第一原発では、1号機に続いて3号機も建屋が水素爆発。物資支援のために政府は予備費から302億円を使用することを決定。1都8県の計画停電。電話不通。電車運転見合わせ。余震続く。

こんなときに何ができるのだろう。200410月に起こった新潟県中越地震の時は、とにかく行ってなにかがしたいと思った。おにぎりを握るのでもいい、物資を車から降ろすのでもいい。なにができるかわからないから、なんでもよかった。結局、出発の4日前に怪我をしてしまい、100日間も入院してしまった。

月曜の朝。運転を見合わせたJRの利用者が押し寄せ、車内でスクランブルエッグ状態にされながら会社にたどり着く。なんとなく落ち着かない環境で業務をこなしていると、サエからメール。「**基金に寄付をしたいんだけど、いいかな」。「もちろんいいよ」、と即答はしたが、なぜ自分がそれを思いつかなかったのか、考えこんでしまった。そういえば、昨年1月のハイチ地震の時もそうだった。遠くの出来事を眺めるように、新聞とTVから一方的に情報を受け取っていた時も、サエから「寄付をしたい」と相談された。

何ができるのだろう、と自身に問いかけることは僕もあるのだが、サエは必ず結論まで至る。大きな額ではないし、当然だが見返りも無い。なにかしたいからできることをする、ただそれだけのこと。インタネット上では、世界中から日本に向けてたくさんのメッセージや想いが寄せられている。これも同じなんだとおもう。ボクもそうありたい。そんなことを感じた一日だった。




ちなみに、ロイターが発表した1900年以降発生の大規模地震上位(マグニチュード規模)は以下のとおり。

チリ地震                    1960522   M9.5     5,000人が死亡
アラスカ地震              1964328   M9.2     津波で 125人死亡
スマトラ島沖地震       20041226  M9.1    9カ国で死者数226,000
東日本大地震          2011311    M9.0
カムチャツカ地震        1952114   M9.0     津波が発生しハワイまで到達
チリ地震                    2010227   M8.8     津波により500人以上が死亡
アラスカ地震              196524     M8.7     津波発生
スマトラ島沖地震       2005328   M8.7     死者数推定1,300
アラスカ地震              195739     M8.6     火山が噴火
チベット・インド地震    1950815       M8.6     少なくとも1,500人が死亡

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