9.08.2011

アジアなのかヨーロッパなのか

トプカプ宮殿内のタイル模様
複雑な歴史の歩みの中で築かれてきたからだろう、トルコの文化はこういうものであるとは一概にいいがたい。人種をみるとトゥルク系民族は勿論、西はアーリア・アングロ系、東はクルド・ペルシャ系、北はロシア系やモンゴル・中央アジアの遊牧民族もいるだろう。文明は、古代ギリシャ、メソポタミア、ペルシャ、ローマなどが時代と共に寄せては文化や遺産を残してその波を引いてゆく。特に、アジアとヨーロッパの架け橋を担い、様々な帝国の首都として君臨してきたイスタンブールは、食、工芸、建造物、音楽、生活習慣において多くの文化が共存している。

ナンを使ったピザ、ピデ
伝統旋舞、セマー
歴史の波に揉まれてきた複数民族系地域を国家として統一したのはトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル氏。「トルコの父」を意味するアタトゥルクと呼ばれ敬愛される同氏は、1923年の建国と共に近代化を図る大改革を行い、ラテン文字の導入などを積極的に行った。この地で生活する様々な人種をトルコ人として唯一結びつけるのは、赤字に三日月と星を記した国旗のみではないだろうか。



人民の99%がイスラム教徒であるトルコ。約一ヶ月の断食月、ラマダンの最終日にイスタンブールへ戻った僕らが目にしたのは、おびただしい数の国旗だった。日が沈むと共に街中に人が溢れ、音楽やダンスのパフォーマンスが野外で披露される。気のせいだろうか、スカーフで頭部を覆う人々の表情も明るいように映る。翌日も、昼間から多くの家族連れが広場での食事を楽しんでいる。日出から日没までとはいえ飲食を制限される生活がどの様なものであるかは、宗教も節操も持たない僕には全く想像がつかない。


中国の蘭州からイスタンブールまでの長いシルクロードの道のり(中東は飛び越えてしまったが)を渡り、様々な文化や人と出合ってきた。元々は中国中央を南下し、チベット、インド、ネパールを巡る予定だった僕らの旅はルートから大きくそれてしまったが、それらはきっとそのうちに訪れるだろう。日本育ちの僕にとって、陸続きに繋がる国々の色が徐々に移り変わっていく様は不思議な光景だったが、つながっているのは国境の接面だけで無い事を知れたのはとても贅沢で貴重な体験だと感じた。

さて、次は欧州。予算を再確認しなくては。

0 件のコメント:

コメントを投稿