イスタンブールから目指す次の目的地はオランダ。そこで僕の友人達と合流し、その後パリへ移動してサエの友人と会う。この旅に出てから三ヶ月半にして初めて他人と共有する予定。イスタンブールからアムステルダムまでの距離は直線でおよそ2200km。与えられた日数は9日間。これまで具体的なスケジュールを持たずに移動してきた僕らにとってはひとつのチャレンジである。予定よりも早く出発する事を決め、行程を組んでみる。セルビア経由か、ルーマニア経由か。チェコは?クロアチアは?ポーランドは?未知の東欧は興味深い。でも時間が足りない。最終的に決めたルートは、セルビアのベオグラード、ハンガリーのブダペスト、そしてオーストリアのウィーンにそれぞれ二泊ずつする事にした。イスタンブール~ベオグラードは20時間、ウィーン~アムステルダムは12時間かけて移動する事になる。
ソフィアの路面電車 |
最初の夜行列車は、 今はなきオリエント急行の線路をたどるバルカン・エクスプレス。 二等寝台車両の六人部屋。 乗車すると既に三人が僕らの部屋で待ち構えていたが、 出発してみると他の部屋がガラ空きだったので、 親切な車掌の計らいで人組一部屋が与えられる。 ブルガリアとの国境には午前3時に到着。 下車して出国手続きを行い、 その2時間後に今度は車内で入国手続きを済ませる。 翌日の昼を回った頃 電車が首都ソフィアで停車すると、車掌が全員降りるようアナウンス する。よくわからないが、 どうやらベオグラード行の連結を逃した僕らの車両は 7時間もここで釘付けらしい。半日を市内で過ごし、 再び同じ列車に乗ってベオグラードへ向かう。
七時間後にホームへ戻ると我々の車両だけ放置されていた |
早くも脱線した予定を取り戻すべく、 さほど大きくはないベオグラードの街も半日だけの滞在にした。 残念な事にテニス界の女王たちには一人も会わなかったが、 長年に渡り紛争を通じて合併と独立を繰り返してきた旧ユーゴスラ ビア圏最大の都市が想像以上に発展していることに驚いた。 街の一部には破壊されたビルがそのまま残してあり生暖かい傷跡と して保存されていたが、 ドナウ川周辺の落ち着いた雰囲気からはそういった一面を見ること はなかった。
その晩も夜行列車。今度は更に安い八人部屋の座席で一泊。
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