8.15.2011

2000kmの横断

モンゴルから到着した列車は、中国側で車輪を履き替えるらしい。入国通関よりもそっちに手間がかかるのに驚き。


中国の景色はどの自然をみても手が加えられているような気がする。整列した木々、線路脇に添えられたヒマワリ、荒地に咲く発電用風車。工事用車両が走った跡、無造作に建てられた掘立て小屋、そんな風景が果てしなく広い景観の最前面に連なっている。



1140km離れた内モンゴルのフフホトへ向かう寝台列車に乗り合わせたのは、ウランバートルの親戚を訪れていた5人家族と、新疆出身の中年男性。サエが北京語を話す外国人である事がわかると、家族で隣の客室から流れ込みサエを質問攻めにする。西へ向かうため、正直どれだけ通じるかわからなかった北京語は、新たな情報を収集する重要な道具である事がわかり安心。サエは相当疲れたようだ…
 


モンゴル語で青い都市を意味するフフホト(呼和浩特)は、人口114万人の内蒙古自治区の首府。電車が駅に到着したのは22:00、 駅前に広がる近代的な都市に圧倒されつつ、そのままホステルへ直行。翌朝ウルムチ行の切符を買いに駅へ行くと既に長蛇の列。電車の切符には5種類あり、軟卧・硬卧と呼ばれる寝台席、軟座・硬座と呼ばれる座席、そして立席。ようやくカウンターにたどり着くと、ウルムチへ行くには交通の拠点である蘭州で乗り換える必要がある事、そして夏休みのせいか寝台席と軟座は売り切れている事を知る。仕方なく堅座切符を購入。蘭州までの道のり1144km、19時間の旅にかかる電車賃は一人70元、約850円と格安である。近所のスーパーで食料を買い込み、人がひしめく待合室で到着を待ち、押し合いながら列車に乗り込み座石を確保する。





携帯電話から流れる長渕剛の中国版「とんぼ」が響き渡り、タバコの煙が車内を蔓延する。開けっ放しの窓から砂埃が吹き込み、床はペットボトルやヒマワリの種の殻で埋めつくされている。4人掛けのボックス席にはいつの間にか人数が増え、通路や乗車口付近はシャツを脱いだ中年男性が陣取り、車両につき定員122名と書かれた札はもはやなんの意味も持たない。これが電車の旅の実情である。トイレに立つとその短い時間だけでも、と誰かが座るが戻ってくればすぐに返してくれる。始発駅以外で切符を購入した人は全員立席の為、席が空くのを待っているのは一人ニ人ではない。サエは向かい合わせた40代のオタク男性に捕まり、日本の戦争責任や漢字を中国から借りている事について4時間程の説教を受けている。かわいそうだがどうする事もできない。周りの冷ややかなコメントでそのうち別の席に移って行ったが、他の人も我々には興味津々。身分証明を求められた時も、人民身分証明書でなくパスポートを出した僕らの席に群がり覗き込んでいる。直角に固定された背もたれに寄りかかり、荷物や人の合間を縫って脚を座席下へ伸ばして寝てみる。休まるはずはない。


世界四大川のひとつ、黄河。後方に見えるのは蘭州市内


10:50、中国中央に位置する交通の拠点である蘭州に到着。硬座よりも固くなった首をさすりながら切符売り場へ向かうが、ウルムチ行きの電車は数日後まで全て売り切れ。寝台付きバスもあると聞いていたのでバス停に行ってみると所要時間は23時間。寝台車はなく、値段は380元。昨日の電車と比較すると法外な値だが、椅子がリクライニングできれば硬座よりもいいだろうという事で即決。町をブラブラしてから、再びバス停へ。





17:00出発予定のバスは満席。座席は膝が前の席に触る程狭く、背もたれは傾く事がない。何をしているのか、バスはあちこちに立ち寄ったのち18:30頃にようやく出発。高速道路に乗ってからしばらくすると道路閉鎖につき迂回を強いられる。運転は荒く、一車線ずつの追い越しは加速と急ブレーキで危険極まりない。遅れる時間を取り戻すつもりなのだろうか。22:00頃バスが線路の高架下の手前で理由不明の停車。前後には何台もの車両が連なっている。事故だろうか。車が止まると車内にはタバコと古くなった果実のような匂いが充満する。とにかく待つしかない。





まるでパリ・ダカール・ラリーのようなバス旅行
バスからは電車では見えない景色が広がる。何度も迂回を強いられた高速道路の新設・増設工事や、あちこちに聳え立つ高速鉄道の高架設置工事。まだ動き始めていない風力発電の風車や、あらゆるところに張り巡らされている電線。これらのインフラ整備が急ピッチで進められているのを見ると、国の成長率の上昇にも納得できる。ただ、急成長と遂げた国側の移行に追いついていない国民の認知度とのギャップが、交通ルールの軽視などから見てうかがえる。前述の通り運転は荒くブレーキ痕は路上のいたるところにあり、おそらく死亡事故と思われる大型車の交通事故も4件目撃した。聞くと一日あたり600件もの交通事故が発生しているらしい。ただただ巻き込まれない事を祈るばかり。






満席のバスには出稼ぎ労働者が多く乗っており、誰もがとても親切なのだが、質問はお金の事が多い。既にこの旅で使ったお金が彼らの年収よりも多い事など当然言えるわけもなく、話を濁す事で精一杯。通路は相変わらず汚いが、そこに布団を敷いて寝ている人もいる。出発から20時間を回ったころから後数時間では着かないだろうと薄々感じていたが、標識の地名がわからずどの辺りにいるのか検討がつかない。22:00頃にようやく「乌鲁木齐 475km」と書かれた看板が。え?まだそんなあるの?到着は明け方だろうと腹を括り、座席の間で膝を丁寧に折りたたんで就寝。


バスは6:00にウルムチ市内へ滑り込む。2400kmも離れた北京時間を適応しているせいだろう、この時間でもまだ薄暗いが想像以上に大都市である事は見る事ができる。到着してからすぐにゲストハウスを訪れるが、早すぎて14:00まで待てと言われてしまう。あと8時間か…結局、何時間寝っ転がっていないんだろう…

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